酒を飲んで席を立つときはポケットをパンパンしよう。
外で酒飲んで、席を立つとき、ズボンの両脇と尻のポッケをパンパン叩いて、財布と鍵とケータイを確認する癖がついてる。
だから、その三つは失くさない。
身近なところにも、よくその三つを失くしてる人いるけど、おれからしたらね、まったく信じられませんよ。
しっかりしろよ、いくら酔っ払ったって最低限そういうのはさ、お前はよお。と、上から説教を垂れたくなるね。
しかし、その代わりと言ってはなんだけど、おれは酔っ払って、理性とか信用とか大切な恋人なんかを失ってきましたよ。
いやお前、それ笑い事じゃねえよ、いい加減にしろよ、ちゃんとしろよ。なんて自分に説教を二郎の豚ダブルくらい食らわせてやりたくなるね。泣きたい。
さて、そうやって失ったものを数えているうちに、どんどん悪酔いが進むようになってきて年齢も重ね、実は最近、その失くさないはずの最低限の三つも失くしそうになってきてる本末転倒な話をこれからしようと思います。
こないだの朝は、ベットで目が覚めたが酔いは全く覚めておらず、出かける予定があったのでなんとか起き上がり身支度をはじめたけど、体中が痛い。色んなところが痣になってるし、腕なんか派手に擦りむけてる。なんじゃこら。それで鍵がない。でも家に入れたということは鍵を自分で開けたということだから、鍵は部屋のどこかにはあるはずで、実際に後から見つかったのだけれど、そのときはちょっと焦った。出かけた先では最初、完全に酔っていて一人で意味の分からないことを口角泡を飛ばして喚いては自分でゲラゲラ笑い出し、しかし暫くして酒が抜けると猛烈な体調不良、そして精神も不良。二日酔いの脳の状態は、鬱のときのそれに限りなく近い、というのをどこかで読んだけど、本当なんだろうと思う。形而上的二日酔い、という言葉もあるんだぜ。まさにそれ。消えたくなった。けど惰性だったり、自分なりの変な気の使い方で余計に無駄な軽口叩こうとしては更にそれで自己嫌悪が止まらない。助けてくれ。いや助けてくれと思ったのは同行者の人かもしれないね。ごめんなさい。恐竜のように絶滅して、化石になって深く静かに眠っていたい白亜紀かジュラ紀くらい、あるいはカンブリアで爆発したいよ、おれは。とにかく迷惑かけた。
……そして蘇る、前夜の所行。駅前の居酒屋、馬鹿で素直でハゲ散らかった中学の同級生が年収の話なんか始めたものだから、ばりばりの非正規雇用の自分としては「大体お前、月50万位は貰った上で、十分に暇もなきゃよ、それはやっぱり奴隷じゃねえか。つまり、お前もおれも奴隷だよ、奴隷。そしてお前は自分が奴隷だって気づいてないだけだね。さて、ご主人様はどこでしょう。精一杯社会という架空の飼い主に媚び売って生きろ、お前は。きゃんきゃん鳴いてろ。おれは噛みついてんだ」とか喚いた後はそいつの耳元でずっと中島みゆきの『命の別名』を歌ってた。
あとはずっともう一人のやつとケーダブシャインとジブラの真似してた。ヘイ、YO! ジーブラ! ハゲは機嫌悪そうにしてたけど、まあ勘弁してくれよ。おれもボーイケンとは同意見だ。会えば話合う相違点。これ重要ね。
居酒屋を出た後はコンビニで缶チューハイを買って歩きながら飲んで、ハゲと別れてジブの家に寄った。ウィスキーを飲ませろと喚いていたら、リビングからジブラ’sペアレンツが出てきて「あら久しぶり、元気」なんて言われ、ウィスキーとビールを交互に呷っているうちに、他人の母ちゃんと親父の足裏マッサージを始めてるおれ、午前二時。
「あ、痛い痛い。でもなんか効きそうだ」「あー、内臓ですね。気をつけましょうね」「あら、気持ちいいじゃない。そんなに痛くないわ」「エノママは長生きしそうですね」「えー」「なによお父さん、えーって」「あははは」という深夜の団らんはなかなかシュールで面白かったけど、二日酔いの鬱で思い出したら本当に入滅したくなった。帰りのチャリでこけまくったらしい痣と傷も痛む。
なにやってんだ、おれはよぉぉぉぉぉぉ! マイルドヤンキーそのまんまかよぉぉぉぉぉ! でもその括り自体、どうなんだよ、なんかあれだ、きっと金儲けだろう。なんとかして上前はねる気だろう。とりあえず電通と博報堂のやつ出てこいよ、喝上げしてやんよぉぉぉぉぉ!
K DUB SHINE - オレはオレ (HD Version) - YouTube
……あ、なんだっけ。
なくしちゃいけない三つをなくしてしまう話だね。
まあ、そのうちに鍵も財布もケータイもなくしそうだ。悪酔いが過ぎて、それすらもどうでもよくなってきてるのか。気にすればするほどそちらに流れてしまう悪循環はだから怖い。もうそのうち酒飲んでうんこ漏らしたりするんじゃないかな。酒飲みの加齢現象だよ。よく聞く話ですよ、マジで。怖いね。
しかし、なんとも本末転倒だけど、なんとも人間らしい私ではないか。もうそうやって居直るしかないね。
で、とりあえず今朝は煙草をケースごと失っていた。
まあそれは「健康志向に戻って日々清く正しく生きなさい。酒と煙草と女なんてそんな古くさい美学を実践するほど、あなたはハードボイルドではありません」という神様のお告げとして受け取ろう、ああ、世界には意味があるんだ、ああ、ああ! なんていうふうに神に喧嘩を売りもしながら神に取り込まれそうになる曖昧な日本の汎神論の私。
ほんと、煙草くらいはどうでもいい。いや、そんなこと言ったら、鍵も財布もケータイもどうでもいいのかもしれない。でも、失くしてはいけないものは、きっとあるんだろう。なんだ、やっぱり理性とか信用とか恋人なんかかな。うう、辛い。ごめんなさい。
そうだ、なんにつけても辛いのは、二日酔いだ。いや、二日酔いのときに訪れる、鬱状態。
鬱は辛い。一方で躁は楽しいけど、暴発する。どちらもあまりコントロールは効かない。それを十分にわかってるつもりだ。
病院に行くほどでもないし、行く気もないけれど、やっぱり自分は、最近に始まったことではなく、むかしから存分に躁鬱の気はある。酒を飲んでも飲まなくとも。
むかしはもっと極端に、まあ中二病ぽいのも混じってたりしてあからさまに落ちたりテンションが高くなったり、よく人にも指摘されたね。
例えば、どんどん落ちていって、底が見えたと思ったら、その底はトランポリンになっていて、また跳ね上がる。落ちている間はもうひたすらどこまでも落ちていくわけで、それが普通。憂鬱がデフォルト。世界は灰色。でもまた宙に舞いだすと、もう自分は舞空術が最低限の必須技能と化したZ戦士なのだから、浮いているのが自然。なんならスーパーサイヤ人にでもなりましょうか? フリーザくらいだったら屁でもないですわ。みたいな感じになるわけで。
ドラゴンボールZ悟空がスーパーサイヤ人に覚醒 ナメック星 - YouTube
そんなわけで、ここ最近は、夏の初めくらいから、細かい振幅はあるにせよ概ね、ちょっと自分でも珍しいくらいに躁状態が続いた期間だった。
で最近それが落ち着いてきて、鬱ぽい波がやってきたと。まあ、それだけの話だ。
でも食らうね。地べたを這うミミズのような。舞空術との落差を感じるから、余計に。
それでも、まあその振幅を受け入れるのが前提だってことを知っている位には、おれは大人になりましたよ。つうかね、もうかなりいい歳だよ。
まあでも歳なんて関係ないか。いやむしろこうした振幅があればこそ、実際、楽しい。それももう分かってんだ。
何食ってもそれなりにうまいし、人と会っても、なにを話しても、どこに行っても、本や映画に触れても、けっこう新鮮で刺激を受ける。そんなようなことを当時三十半ばくらいの作家が書いていたけど、全くもって同意するね。
おっさんになるとかそんなの、ほんとうに相対的なもんだぜ。まあ、なりたいならなればいいだけ。見苦しかろうがなんだって、振幅はまだまだ落ち着かない。小刻みになったり振れ幅を大きくしたりして、その場その場で翻弄されてコントロールを失ったりするけど、まあ、楽しいよ。だから、これはこれでいいんじゃないかと思う。
まるで、居酒屋で酩酊して、さらに翌朝ゲロを吐き、それでもまた居酒屋に行くように。そんな三十過ぎたこれはまだ青春なのか。恥ずかしいね。でも仕方ないと思えばいいだけだから、思えばいい。
そういうわけで、酒を飲んで席を立つときは、ポケットをパンパン叩きましょう。
確認するのだ、鍵と財布とケータイ、じゃなくてもいいけど、酔っ払って、なにか大切なものを忘れてはいないか。
それから家に帰って翌朝、そのポケットの大切なものは、本当に大切なものなのか、ゲロを吐きながら、精査しようじゃないか。
そして後悔と反省を心の片隅に置きながらも、また出かけるのだよ、居酒屋に。バーでもいいな。スナックでも。
行きたいところに行って、飲みたい酒を飲んだらいいんだぜ。
さて、↑はもちろん比喩ですよ。
なんかね、人生とか人の心の、もっとこう、大きなことを言わんとしているのだよ、おれは。
わかるよね。わかってくれよ。わかってください。
なにはともあれ、酔って席を立つときは、ポケットをパンパンしようね。ということです。
ほら、まとめに入ったよ、おれ。
そういうわけで、見知らぬ街の喫茶店でこの文章書いていたら、隣に座ったおっさんがやたら縦に揺れて怖くなってきたので、ここで終わります。
波が激しいけれど、私は元気です。心のサーファー、工藤静香です。
ぱぱい。
僕は青春を失ったのか
二十代前半くらいの女の子と酒を飲んだ。
と言っても、別に二人きりでもないし、残念ながら色っぽい話には発展しない。
まあでも、話題はちょっと色っぽい方面にも行った。
その女の子は色恋沙汰に悩んでいるらしく、なんとなくその場にいたもう一人と一緒に、恋愛相談を受けるような構図になった。
話を聞いていれば「まず、男ってのは大抵の場合はもうヤリタイってことが第一だよ」とか「厳密に言うと『男女の友情』は存在しない」だとか「そういう状況を自分で利用できるならすればいいし、出来ないならすぐ止めちゃえ」なんて、それなりに年上の男の立場から言えるようなことはあるわけですね。ちょっと偉そうに。
まあ、でもそうやってさ、いつもの身も蓋もない感じではなく、少しは気を遣って、サランラップくらい被せるように言葉を選んだりはしていたんだ。
だがしかし、そんな恋愛相談に内心、かなり早い段階で
「あ、どうでもいいや」
なんて思ってしまう自分がいたわけですよ。
そもそも他人の色恋なんてどうでもいい、っていうのはあるだろうし、ましてや女の子の側からのそれだからね。
でも、あまりにも「どうでもいい」と思ってしまう自分に、ちょっと戸惑いを感じてしまったのだ。
あれ、ちょっと前までは、おれもこんな感じあったよね? でもいまはだいぶ違ってない? なんかとっても遠くない? その真剣さ、なんだろ。ありふれた恋愛と自分の生活と将来とか夢が直結してるっていう根本的な姿勢の違い?
そういうの、なんだかとっても遠く感じるよぉぉ!
なんて、動揺までしてきちゃった。
そういうわけで、三十路に突入してまで、こんなタイトルのブログを書いているのだ。
『僕は青春を失ったのか』
……ああ、なにをいまさら!
「たりめーだろ、んもん、とっくにないから、お前には。痛えこと言ってんじゃねえよ、オッサンが」
そんな台詞が聞こえてくる。
例えば、ついこないだ、地元の喫茶店で隣り合わせた女の子達の声で。
「ごめん、10日は授業外せない。いけないや」「そっか」「でもマジ金ないよね」「ないねー」「あー、明日9時まで。がんばらんきゃ」「池袋、どう? 楽しい?」「客はオヤジばっか。ケチ臭い。あとはなんか、ヤバいの多いし」「じゃあルカは?」「あそこも最近ヤバい。未成年もろ分かりの子が増えたよね。中学生とか」「そんな店じゃなかったのに」「変わったよね」「でも18過ぎると、楽だね」「うん、いろいろ楽」「成人式、どうする?」「髪染めたいよね、変な色にさ」「ピンクとか緑?」「うわ、それヤバ」「やめろしwww」「でもハタチ過ぎたら遊べないよね」「なんで?」「いや、人生あるし」「そっかー。そうだね」「わたし主婦になりたい」「え、なんで」「え、楽じゃん」「そっか。じゃあ主婦会やろうか」「いいね。子供は旦那だね」「でも一人だけ結婚できてなかったりしたら辛い」「頑張れよ(笑)」「それかニートになってたりして」「それ辛い」「でも、そっから這い上がるから」「うわ、マジで這い上がりそう」「しかも、早いよ。タタタって駆け上がるし」「wwwww」
彼女たちは大宮だか春日部だかの派遣のキャバクラでバイトしながら専門や大学に通ったり、別の仕事を持っていたりするらしい。でもそこまで派手なわけでもスレきっているわけではなく、いわゆるイマドキの、まあ普通の女の子なのだろうと思う。あの頃、あの教室に、かつて自分のすぐ側にいたような女の子たちと、きっとそうは変わらないはずだ。
彼女たちは若く、あけすけに恋や性を語り、LINEで特定や不特定多数の世界に接続し、友情と未来と人生なんかに適度に真摯なんだろう。
限定された一時期と自ら認識しながら、いまその青春を謳歌する。やがて経験と歳月を重ねオバサンという人類の最終進化形態へとメタモルフォーゼ。その過程で少しでも条件のいいDNAと交配し世界を再生産、そして死んでいくのか。
「なんだ、結論はやはり諸行無常か」と我が思考の定石にため息つき、そこから「だからこそ青春は美しい」などと思い直してみる。だがしかし、それもまた定石。
開き直ったオッサンにもなりきれず、さりとて若くもない自分自身を鑑みてはやはり憂鬱が心に這い寄る。持参の文庫本は積んだままろくに読めずに、飲みかけの珈琲はすっかり冷めた。
つまり人生は死に至るまでの因数分解であり、瞬間は過程なのだ。
などと自分でもよく意味が分からぬ言葉で我が憂鬱にイロドリ加え、そしてまた彼女たちの会話に聞き耳を立てる。
ところで、こうやって彼女たちの会話を再現できるのは、密かにメモをとっていたからだ。iPhoneは便利だ。イヤフォンで音楽聴きながらネット見てます、というふりをしながら盗聴してデータを残せるのだから。いや、我ながらかなりキモいけど。
さらには、知り合いにその実況中継まで始める。
彼女たちのこの会話を、この状況を、誰かと共有したくなったのだ。そういうとき、たしかにLINEは便利だ。繋がる世界。押しつける個人の感傷。
「まず、お前のその盗み聞き癖、超キモい。あと、その微妙な上から目線。死んだ方がいい。キモい」
ありがたいお言葉をくれたのは、二歳下のアラサー毒舌女王だ。まったくもってもっともな意見で、心に突き刺さる。
「……まあ、でも、とりあえず女子会はさ、ファミレスでやってくれよって話だよ。ガールズトークが否が応でも聞こえてくるんだもの」
大人の良識ぶって、僕は体裁を整えようとした。
「じゃあ、お前がファミレス行けよ。勘違い糞ニートオヤジが」
吐き捨てるような女王のその台詞で、実況LINEは絶ち切られた。
少し泣きたくなった。
それから隣の女の子達は夏の旅行の計画を立て、その場にいない友達の彼氏の写真をFacebookで見つけて「マジでありえないwww」とその不格好さを笑い「これから海とか行っちゃうか。明け方ちょっと寝れば平気っしょ」と若さを炸裂させながら宵の口、元気にその店を出て行った。
なんか色々こえーよ。若さとは、女とはなんだろう。
いや、そもそも僕はむかしから女性が怖い。でも怖いけど嫌いなわけじゃなくて、むしろ好きだったりするんだけど、それはしかし……。
おっと、大幅に話がずれた気がする。
なんだっけ。
ああ、恋愛相談か。青春を失ったっていう話か。
その微妙な飲み会の帰り道、埼玉の実家への長い旅の途中、僕は考えていた。
意外と回っている酔いのなか、総武線からの乗り換えを何度かミスりながら。
考えてみれば、いまから五、六年前には既に、こと恋愛に関して僕は真剣味を失っていたのではないか。
ある女の子に中途半端に手を出して、ちょっと厄介な状況になりそうになったときだ。そのときに思ってしまったのだ。
「あ、面倒臭え。もう、いいや」
そして、そんな自分にちょっとショックを受けた。
それまで関わってきた女の子の、例えば性格上の厄介さ、如何ともし難い面倒臭さ、そういった部分にこそ興味と関心と愛情を抱いていた(少なくとも実際に付き合ってから暫くはそれが続く)つもりだった。しかし、もうそうではなくなっていたのだ。それに気がついてしまった。
「こんなことはいままで散々繰り返し、この先どうなるかも簡単に想像がつく」と妙に醒めている自分がいた。そうなると、もうその相手の厄介な部分を真剣に引き受ける気にはなれない。
どうせ受け止めきることなど不可能だと諦めてしまっているのだから。
「なにかが終わったんだな」と、そのとき悟ったのだった。
つまり、僕は青春を失っていたのではないか。
あの時点で、もう既に。
少なくとも、青春のうちの大きな要素の一つは、確実に。
そこから間もなく怒濤のように僕は身体を壊し、リアルに精子、じゃなくて生死のあわいを揺らぎ、青春とか恋愛とかそれどころじゃなく深刻で陰鬱な日々を数年間過ごしたわけです。
いま振り返ると、まあそれでも楽しかったこともあるけど、全体的にはもう暗闇ですよ、ダークネス。二十代半ばからもう暗黒時代ね。空白なの。すっぽりと。
で、数年後、奇跡のように病人生活から解き放たれた。
半端じゃない開放感に戸惑いながら、やっぱ娑婆は楽しいところだなんてヘラヘラしてた。眩しかったね、久しぶりに友達と飲みに行くとか、ちょっと街に出かけて優雅に喫茶店でランチ食うとか、そんな何気ない日常が、本当に。健康って素晴らしいね。
そしたらさ、あれれ、いつのまにやら、もう三十路ですよ。
え、まじ? っていまでも思うもんね。自分の年齢にさ。
おい、こちとら三十路だよ。
怒られるんだよ、むかしと変わらずに「うんこ」とか「ちんこ」とか「まんこ」とか言っていつまでも喜んでると。怒るんだよ、ちょっと前まで一緒にそんな言葉でゲラゲラ笑ってた奴らがよ。「ちょっとは進歩しろよ」とか言われんの。マジかよ。ちんぽしかしてねえよ、おれ。しまいには結婚したり家庭持っちゃったりし始めて、落ち着いたムードなんか醸しちゃって。で、おれなんかもう意地になってね、うんこちんこまんことか、もう無理矢理ね、心に血の涙を流しながら、それはもう悲壮な覚悟ではしゃいでいるわけだけどね、一人で。これはもはやレジスタンスだよ。でも最近は自分でも流石にそろそろ見苦しいんじゃないかって鬱に片足突っ込みかけている、いま、そんな三十路ですよ、こちとら。
てやんでえ。
そういうわけで、なんだっけ?
あれか。
青春なんて、とっくに失っていた。
そうだ。ただそれに気がつかなかったか、忘れていただけだったんだ。
いま急にそれを無くしたような気がして、また動揺してる、それだけ。
その二十代前半の女の子の恋愛相談に、あれ、色恋って、こんな真剣になれるもんだっけって驚かされてさ。
なあんだ。
じゃあ、青春を無くして久しい男としては、どう振る舞えばよかったのだろうか。
まあその答えは簡単だ。分かっている。
開き直って、その相談にガンガン乗るべきだね。大人の男ぶった感じをせいぜい振りまけばよろしいのだ。
実際に、一緒に相談されたもう一人の人は、まあ僕よりさらに年齢も上なので、もう完全にお父さんか親戚の叔父さんみたいになっちゃって、でもその厳格で真摯な言葉が、相談者には染みていたようです。
それに対して僕のアドバイスなんてのは、やっぱ中途半端だったんだろうな。どっちつかずで。
これはいけない。
相談にはちゃんと乗ってあげよう。
大人の男として。
そしてあわよくば、その女の子にも乗ってやろうじゃないか。
相談に乗ってるうちに相談者にもライドオンなんて、ほんとよくある話だろう。
それを確信的にやってしまえるのが、大人の男じゃないかね。
ダーティサーティ、若き純情あざ笑え。青き春など食い散らかせ。
そして世界を独り占め。
なるほど! よし、次は見てろ!
というわけで、僕はどのようにして青春を失ったか、でした。
あー、やっぱもう無いのか、青春。
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