もうこはん日記

いまだ青い尻を晒せ

地ベタのおでん

引っ越しました。
 
そういうわけで、数年振りの一人暮らしを再開した。
場所は北区。
ざっくばらんな庶民の街で、駅から六分の、こじんまりとした部屋を借りた。
なんとなく、この街のことを少し書こうと思ったので、書いてみる。
 
さて、駅前から路地に入ったところには蒲鉾屋があって、そこでは、昼からおでんを肴に飲める。自家製の練り物が売りの店だ。
 
ある日、その店の前を通ると、大きなおでん鍋がある店頭の立ち飲みコーナーで、自分と同じくらいの年代と思しき女性が、地べたに倒れ込んでいた。彼女はとても小柄だった。小柄、というよりは、手足が極端に短いように見える。そのせいで一見すると子供のような印象も受けるが、飲み台の上にはコップ酒。そして悲嘆に歪む顔かたちは、三十路過ぎの女性のそれに違いない。年齢なりの、または年齢とは無関係の、彼女そのものに由来するやりきれなさがあるのだろう。転がりながら泣き喚き、しきりに何ごとかを訴えている彼女のバランスは、とてもちぐはぐなものに僕の目には映った。
その彼女を見下ろすようにして、80くらいのお婆さんが声をかけている。その店のおかみさんだろうか、居合わせた客だろうか、それとも通りすがりに足を止めただけの近隣住民なのだろうか。エプロン姿で色黒でしわくちゃの、しかし背筋がシャンと伸びたお婆さんだった。
だだっ子のように地面に転がる彼女を、窘めるというか、諌めるというか、慰めているのだろう。
 
あんたも立派な親御さんの元に生まれたんだから、しっかりしなきゃだめよ。あなたの親御さんたちは……。
 
彼女は咆哮するようにそれに答える。
 
……どゥわッてェ、ゔァたじなんかァどォゥせェ!
 
煮えているおでん、前後不覚で泣きわめいては地面を転がり続ける女、厳しくも人情に溢れた言葉をかけ続けるお婆さん。
まだ昼を少し過ぎたくらいの時間に、なかなかの光景じゃないか。
くたくたになった昆布や練り物からの出汁が、大根や卵やはんぺんに染みこむように、その温もりも、もがき回る彼女の心にも少しずつでも確実に、染みこんでいるのなら、それはいいなと僕は思った。
 
しかし、個人的な問題と言えば、彼女は大根なのか、お婆さんは老いた昆布なのか、では僕ははんぺんであるのか、その鍋のなかの位置取りはどうなっているのか、どれほどの火にかけられているのか。「社会」というものが、どれくらい彼女に辛く当たっできたのか、どのように月日がその頬を撫で皺を刻んでゆくのか、自分由来の出汁が反映される鍋とはどの程度の「社会」なのか、それになんという名前をつけてどんな店を出すのか。
そこに行き当たってしまった。
つまり、崩した卵の黄身が溶け込んだ汁のように、僕の思考はおでん世界に混濁した。今日はまだ酒も飲んでいないのに。練り辛子をそこに追加して下さい。
 
胸が締めつけられるような気分になって、足早にそこを去り、近くを流れる川沿いのベンチに座った。
普段もう吸わなくなった煙草が吸いたい。中二病の乳首のように。

 

『この世の不幸は、感情操作と愛想笑い。
みんなが夢中になって暮らしていれば。みんなが夢中になって暮らしていれば。
別になんでもいいのさ』
 
幸せ者

幸せ者

  

無責任に口ずさむと、この曇天の空のように中途半端に無責任な気分になって、どこか中途半端に救われたような気分になって、大きく足を投げ出した。
別になんでもいいいのさ。
 
なんだか僕はそこから動けないような気分になって、その日にしようとしていたこともすべて投げ出汁たくなった。
そのまま冷めかけたおでん鍋にたゆたって、いっそ腐れるに任せればいい、などと思ってしまった。
 
しかしこのままでいられれないことも分かっている31歳になった冬も生存は続く。ということは生活という活動をすることを強いられるのだ。意志とは関係なく。税金よりそちらが先。ああ、右目の下が痙攣して止まらない。視界が狭くなる。僕も所詮はつまらない畸形か。単に進化論に取り残されるだけの。泣けた。しかし持ち前の狡猾さから彼女にその旨をLINEして大袈裟に持てあました感情を伝えると、自己犠牲を信奉する僕の彼女は自分の仕事を早々に切り上げてマイカーに乗ってその場に駆けつけてくれた。無責任な出汁が効いた涙をとくとくと流しながら、歯に挟まった牛すじのような感情を垂れ流す僕の白滝を彼女はいつものように受け止めてくれ、保護者のような彼女同伴でなんとかアパートの契約という社会的通過儀礼を切り抜けた非正規雇用の僕であった。収入証明はそれなり、まあ人並み、あるいはそのちょっと下くらい。しかして挙動不審の僕に社員証と安定と信用はない。陳腐な屈辱と引き替えの契約に意味はあるのか。あるんだろうな、この世界では。社会人とは会社人なのか。死ね。
ああそれでも、両親が公務員で良かった!
と、この歳になっても老い始めた親を熱海・箱根辺りの温泉旅行に連れて行ったこともない、汎用な発想を憎みながらもその汎用な規範に縛られもする一人の30男は窓から顔を出して叫びたい、うんこみたいな世の中に。
それでも、愛してる。
おでん鍋はコラボレーション。煮えたって、いい出汁が出てそれが染みこめば、大抵のものは食えるよ。

ホクシン交易 おそ松くん チビ太 直立マーカー W09FUM0074

 
 
そういうわけで、なんとか部屋を借りた。
 
これで満員電車の乗り継ぎの通勤地獄が緩和される。殺害していたも同然のドアトゥードアの片道1時間半強、往復3時間少しの時間が浮いた。幾ばくかの家賃、光熱費その他諸々との引き替えに、手に入れたこの時間。
さて、それで僕は何をしよう。
さしあたっては、駅前のプロントでお得用ハイボールを立て続けに二杯飲んでからの酔いの勢いで、このブログは書かれている。結構楽しい。
また、あの蒲鉾屋にも行くよ。いいところだよ。行ってみたくなった人は、一緒に行きませんか。
 
 
ぱぱい。