もうこはん日記

いまだ青い尻を晒せ

信仰の犬、西へ

関西人の男が嫌いだ。

理由は簡単だ。関西弁が好きではない。女の関西弁はまだ許せる。だが男は駄目だ。万死に値する。

学生時代、度々顔を合わせる関西男がいた。得意げな関西弁トークは聞くに耐えなかった。

ある酒の席、とうとう我慢ならなくなったおれは「そりゃ、ごっついで~、たまらんで~」「さっき『そこ、突っ込まなあかんとこやで』とか言ってたよね? ほらほら突っ込んでくれよ! さあ、あちきに突っ込んでおくれやす!」などとその場を混ぜっ返し、執拗に絡み続けた。

比較的あっさりと、奴のダンジリは崩壊した。不愉快そうに押し黙り、いつのまにか姿を消していた。その後、奴とはほとんど顔を合わせることはなくなった。

ざまあみやがれ。おれは関西弁の野郎が大嫌いだ。

まだある。

潜伏先の北海道でのこと。おれは夏の旅行者に紛れ、あるキャンプ場でテント生活をしていた。そこには日本全国から旅行者が集まり、夜になれば即席の酒盛りがよく開かれた。

そんな静かな湖畔の夜の闇に響き渡るのは、かなりの確率で忌々しい関西弁だった。奴らは皆一様に声がでかい。デリカシーに欠ける。持ち前の押しの強さでその場を支配し、どこでも梅田や心斎橋に変えてしまう。関西人旅行者達の厚かましさが、北の果ての旅情の酒を不味くさせた。

その頃には、おれは既に本格的に道を外していた。だから我慢のならない夜には我慢をせずに、闇に紛れて何人もの関西男どもを撃ち殺した。死体は近くの森に埋めた。やがて大地に養分が行き渡ったのか、秋になると辺りの木々にはタコヤキが実り始めた。実に不愉快だった。そこを発つ日、おれは森に火をつけた。

 

「……なんやそれ。わけわからんわ。とりあえず性格悪過ぎんで。やっぱ関東の男はあかんね」

呆れたように女が呟く。

ことさらに強調された関西弁のイントネーションが鼻についた。普段は標準語で喋る癖に、こうして「関東の男」という括りでおれを非難するときには、わざとらしく関西弁を使う。……まあ、つまりそうやって戯れているのだ。だからおれも本気で腹を立てたりはしない。いま現在のおれの生活は、この女の経済にぶら下がっているのだから。

女はまともな仕事についており、マンションは清潔でそれなりに快適、黙って座っていても飯が出て来る。潜伏場所として文句はない。

女は週末を除いて毎朝、定時に家を出て行く。残されたおれは、大抵は部屋に籠もっている。外出は必要最低限に控えていた。

つまり座敷犬の毎日だ。いまはただ静かに眠るように生きる。

 

空調の効いたリビング。

テーブルの上で拳銃を解体し、そしてまた組み立てる。

いざというときに要求されるのは、正確で精密な、マシンのような動き。作業に没入していくほどに、無心になったおれの指先はオートメーション化されていく。

点けっぱなしのテレビが、ワイドショーを垂れ流している。

醜悪な事件の数々に眉を潜める司会者にコメンテーター。勿論、本当に醜悪なのは奴らの訳知り顔の方だ。

組み上がった拳銃をテレビに向ける。

アップのカメラ目線、現代社会に警笛を鳴らす司会者の眉間に、ぴたりと狙いをつける。

ほら、その面の皮を引きはがしてやろう。惨めで無様で真摯なお前の命を、いまお茶の間に晒して見せろ!

トリガーにかけた指に力を込める。

だが弾は出ない。

自嘲して銃を下ろす。

おれは座敷犬だ。ギャング映画のいかれた親分のように、逆上して実弾をぶっ放すわけにはいかない。42型のテレビは女がボーナスで買い替えたばかりだ。テレビでは司会者が次のニュースを伝える。動物園のパンダに子供が産まれたらしい。スタジオの雰囲気がガラリと変わる。さっきのニュースなどなかったかのように。

しみったれた気分を押し殺すように、おれは再び拳銃を解体、そして組み立てる。何度もそれを繰り返す。そのうち、何も気にならなくなる。オートメーション化された指先に思考が隷属する。いまはそれでいい、いま暫くは。

 

大体の部分において女は真っ当だったが、真っ当でない部分もあった。

満月の夜になると、行き先を告げずに女はいそいそと出掛けた。

警戒心と好奇心から、ある晩おれはあとをつけた。

駅前の古い雑居ビルに、かなりの数の老若男女が集まっている。女も顔見知りと世間話をしながらそこに入っていく。何食わぬ顔でおれも紛れ込む。潜入はお手の物だった。

なんらかの宗教団体の集会だということは、すぐに分かった。

クライマックスに、大がかりな儀式が執り行われた。おれの知らない神に、あるいは悪魔に、信者達の祈りと生け贄が捧げられた。

屋上に設けられた祭壇で羊が屠られる。噴出した血飛沫がコンクリに降り注ぐ。

月明かりに照らされた信者達は恍惚に酔いしれていた。おれの位置からは女の顔が見えなかった。そこにあるのは、おれに見せたことのない表情に違いない。

上手く紛れ込んでいるつもりだったが、思わずコートのポケットに忍ばせた拳銃を握り締めていた。その手がじっとりと汗ばむ。いま正体がバレれば、厄介なことになるのは間違いないだろう。

 

何でもない顔で帰宅する女を、おれは先回りして迎えた。そして問い質す。それ相応の覚悟はしていた。拳銃は手の届く場所に置いている。

緊張しているおれに対し、女はただあっさりと自分の信仰を告白し、こう語った。

その教団は、関西のある地方で広く信仰されている。母親が幹部の一人であり、物心ついたときからその教義のなかに自分はいた。思春期を迎える頃に多少の疑問を抱いたことはあるが、その神の教えは自分自身の前提として、もはや血となり肉となっている。だから捨て去ることは出来ないし、かと言って特に意地になって守り抜くというものでもなく、ただ当たり前のものとしていまもある。社会人となりこうして東京に出てきたが、たまたま近所に支部があったので普通に通っている。満月の晩に神に贄を捧げることはそう決まっていることだ。信者にとって、自分にとって、なにも不自然なことではない。あなたがどう思おうと、そうなのだから、そうなのだ。

そのように女は語った。

おれはそんな女の話を抵抗なく受け入れた。

さっき「真っ当でない部分もあった」と言ったが、それは訂正するべきかもしれない。

何故なら、信仰とは分かりやすく合理的で、実に真っ当なシステムだからだ。

ほぼ全ての人間は、曖昧で不合理にしか思えないものに精神を支配されている。自分の心の奥を覗き込み、そこにあるものを丁寧に分離、解体していくといい。果たしてそこに自分自身の意志など残るのだろうか。疑わしいものだ。

いま己を動かしているもの、行動原理、価値基準、それは何であるのか。例えば経済原則、社会通念、死生観、恋愛感情、動物的な欲望、その他諸々、なんでもいい。それらは実際に、本当に、いまそこに在るものなのか。普遍的で不滅の、疑いようのない真実なのか。

答えは、否だ。それらは限りなく不確かで、言ってしまえば、一種のマヤカシに過ぎない。それがあたかも自分の意志だと思い込まされているだけで、実は曖昧で不確かなものに心を支配されている。

わざわざカルト宗教になど入信しなくとも、人は既に曖昧ななにかを盲信し、それに伺いを立て日々を生きている。

さて、それを自覚したのなら、もうそれ以上考える必要はない。

解体したものを、再び組み立てろ。そして以前と同じように、神を崇め、金を奉り、自分の意志と存在を信じて生きていけばいい。我々は所詮、生と死の振幅に首を繋がれた犬でしかない。ただ、好きにすればいいだけだ。

……おれのなかのマヤカシは、つまりこのように言っている。

自分の信仰を明らかにしてから、女はまるで開き直ったかのように宗教的に振る舞った。おれという人間は、心も身体も酷く強ばっている。なんとかしてあげられるならしてあげたい。ずっとそう思っていた。女はそう言った。

「天よりこぼれ落ちたる子等のよし、かしこみ頼みまつれば……」

いまも女は祝詞をあげ、寝そべって本を読んでいるおれに手をかざす。なんらかのパワーを注いでいるらしい。

そのような行為をおれは殆ど無視し、ただされるがままだったが、嫌悪感や抵抗はなかった。むしろ歌舞音曲のように抑揚のついた祝詞は、深い眠りへとおれを誘った。あの街を出てから常につきまとった悪夢がどこかへ消えてしまった。

これはどういうことだろうか。女の説明通りに「神の力」が祝詞によって増幅、かざされた手を媒介に伝達されている、というわけではまさかあるまい。あるいは気功の理屈が働いているのか。それとも単なるプラシーボ効果か。どちらにしても、得難い安らかな眠りがもたらされたのは事実だ。おれはそれを貪った。

それでも、おれが女の信じる「神」を信じることはない。おれにはおれの神が、精神の飼い主がいる。曖昧にして窮屈な首輪を、既にしてはめられているのだ。

ただこのような女とこうして暮らしているということ、それ自体に因縁めいたものを感じていた。 「あらゆるものはリンクしてゆく」

心のマヤカシはおれにそう呟かせる。そのリンクの向こう側、そこにこそ自分の神はいる。そんな気がしていた。

 

いつ終わるとも知れない潜伏生活は、座敷犬ライフは、ともすると永遠に続いてゆくかとも思われた。

だが変革は唐突になされた。女の母親の来訪によって。

突然来訪した女の母親は、強烈に異様な雰囲気を放っていた。地味な茶色の袈裟のような上着に、同じ色のスカート。だが足にはヒョウ柄のタイツ。だが何より特徴的なのは頭髪だ。やや長めのパンチパーマで、それを金髪に染めている。まるで仏像のコスプレをしたような姿だった。

そしてこの異形の仏像は、屈強な眷属を二人、両脇に従えていた。

彼らはまず間違いなく双子で、服装もお揃いだった。紫の短パンに、胸の部分に大きく「愛」とプリントされた白のタンクトップ。仏像婆に負けぬくらいの異形。ただ一つ双子の見分けをつけるポイントがあるとすれば、きっちり七三に分けられた頭髪だ。分け目が、それぞれ逆なのだ。恐らく、ご本尊の仏像婆を中央に、左右対称という演出だろう。阿吽だ。

突然の訪問者の三人は、どう見ても異常だった。

部屋に入ってくるなり異形の仏像婆は、値踏みするように目を細め、初対面のおれを無遠慮に眺め回した。それから早口の関西弁でなにかをまくし立てた。

呆気に取られていたせいもあるが、何を言っているのかさっぱり理解出来なかった。 

同じ日本語とは思えない。ただ、マシンガンのように浴びせられる関西弁が不快だった。

「……関西弁、やめてくれよ」

おれは思わず呟いていた。

「あかんわあ、この子、紅ショウガやわ!」

仏像婆がそう叫んだ。その途端、両脇に従えた双子の片割れが背後に回り込み、おれは羽交い締めにされた。 次の瞬間、もう一人がおれの鼻先に強烈な一撃を食らわせる。

恐ろしいほどの速度と、よく訓練された正確な動きだった。拳銃は手の届く場所にあったが、手を伸ばす暇などなかった。不覚。そして激しい痛み。視界が明滅し、涙が滲む。鼻が熱い。激しく出血しているのだろう、まるで紅ショウガのように紅い血が……。

「どないや、紅ショウガの気分は」

なるほど、そうゆうことか、紅ショウガ。こら、ショウガねえな……。

いきなりの鉄拳制裁に、下らない駄洒落で返そうとしたが、痛みで言葉にはならなかった。とんだ新喜劇だ。

そして地獄は始まった。

キッチンの椅子に後ろ手で拘束される。やはり機敏で隙がなく、抵抗のチャンスはなかった。 

テーブルの上に置いてあった拳銃は目ざとく発見され、婆はそれを手に取ると躊躇いもなく安全装置を解除し、いきなりおれに向けて発砲した。マガジンに装填してあった実弾が、無慈悲にも発射された。

瞬間的に、おれは精一杯身体を捻っていた。椅子ごと床に倒れる。幸いにして狙いは逸れ、銃弾は背後の壁に穴を開けたようだ。

「……なんや、この子、ゴンタクレかいな」

婆はそう言って、つまらなそうに拳銃を投げ出した。目の前のフローリングに転がった拳銃からは硝煙が漂っている。サイレンサーを装着していたせいで派手な音はしなかった。銃声を聞いた近隣住民に通報されることはないだろう。それはおれにとって幸運であるのか、不幸なのか。

一連の展開に女は精一杯抗議したが、逆に仏像婆にまくし立てられるとすぐに黙ってしまった。それからはじっと目を閉じ、静かに祝詞を唱え続けている。助けは期待できなかった。女にとって母親は、その背後の神への信仰は、絶対なのだ。 それは分かっていたことだ。だから恨みには思わない。自分を救えるのは自分だけだ。それも分かっていたことではないか。

仏像婆の陣頭指揮で、流れるように作業は進行した。女と双子がボールに粉をあけ、それを水と卵で溶く。タコの足を一口サイズに切り出す。戸棚の奥からタコ焼き器を取り出し、テーブルに設置した。そんなおぞましいものがこの家に隠されていたことを、いままでおれは知らなかった。女と双子は見事なコンビネーションで大量のタコ焼きを作っていく。反吐が出そうな光景だった。

「なんでそないに関西嫌いなん?」

「……関西弁は悪魔の言葉だからだ」

おれの憎まれ口に、仏像婆はため息をつき、その表情に一瞬、悲しみの色が差したように見えた。だがすぐに仏頂面に戻り、双子に命じる。 

「ヤキ、入れたり」

体中の穴という穴に、タコ焼きを突っ込まれた。タコ焼きがそのまま入る大きさの穴など、口くらいしかない。だから他の穴に入るときは無理矢理というしかなく、たこ焼きは潰れ、まずはどろっとした中身が流れ込み、それから力任せにタコがねじ込まれる。あらゆる粘膜で感じる出来立ての熱々さは、想像を絶していた。おれは無様に叫び声を上げるしかなかった。それを見つめながら、婆が満足そうに呟く。

「外側カリっと、中身ふわっ、タコはプリプリやで~」

やがて意識が失われた。

 

目を覚ます。だが視界は真っ暗だ。目隠しをされているのだ。振動音から、車に乗せられていると分かる。

「どこに連れていく?」

返事は返ってこない。車内に沈黙が響いた。

答えを待つのを忘れた頃、声が聞こえた。

「神サンに会わせてくれるんやて……」

それは女の声だった。

車から降ろされ、しばらく歩かされると目隠しを外された。

大きなプールの前におれは立たされていた。

プールに張られているのは水ではなかった。白く、ドロっとした液体が溢れんばかりだ。一体これはなんだ。考える間もなく突き落とされた。

溺れぬようにもがきながら、ある答えに行き当たる。これは、小麦粉を溶いたものだ。嫌と言うほどのタコ焼き責めにあった後だ。すぐに分かった。しかしタコ焼きのタネにしては粘り気が強い。そのうちに皮膚に痒みを覚え始めた。……ああ、これは山芋か。そうか、そういうことなのか。

このプールは、お好み焼きのタネなのだ。

お好み焼きの生地には山芋を擦って入れると旨い。どこかで聞いた。思い出しながらも、おれはもがき続ける。このままでは確実に溺れ死ぬ。

山芋のぬめりによるものか、奇跡的に手枷が外れた。なんとか縁に泳ぎ着き、プールから這い上がろうとするが、待ちかまえている「愛」の双子に蹴落とされる。

プールの底の方で、ときどき固いものに手足がぶつかる。人間の身体だった。

かなりの数の死体が沈んでいるようだ。彼らはこの巨大なお好み焼き生地のプールで、敢えなく力尽きたのだ。おれがいまそうなりつつあるように。

もがけばもがくほど、力が奪われていく。

……ああ、これは、どういうことだ。こんな理不尽は認めない。何故ならおれは理不尽を受ける側ではなく、常に与える側でありたいからだ。ほぼ全ての人間がそう思っているだろうが、おれはより強く、誰にも負けぬ程にそう思っている。命は平等だ。ただしおれを除いて。おれだけは他の命より常に一段高い場所にいる。故におれは死なない。死ぬのは奴らだ。……銃はどこだ? あの銃を今すぐおれに寄越せ。奴らを撃ち殺してやる。例えここでくたばってもすぐに蘇り、何度も引き金を引いて奴らを撃ち抜いてやる。そしておれは生きる。おれだけが生き続ける。それがおれの世界だ。この世界の全てだ。

「……だから、あんたのような人間はカスやっちゅうねん」

耳障りな関西弁が、まるで天からの声のように厳かに響く。仏像婆の声だ。

「天から降る命は皆等しく、せやから謙虚にあるべきやのに、あんたは見事なまでにカスや。天からこぼれ落ちた、どうしよもないカス……」

婆は嘆くように天を仰ぐ。

「そうや、天カスや!」

金髪仏像婆が、いまにも溺れ死なんとするおれを見下ろし、得意気な顔で叫ぶ。

「お好み焼きに、天カスは欠かせまへんで!」

神々しいまでにドヤ顔の婆。

「わははははは」

双子が上げる、わざとらしい過剰な笑い声。まるで吉本の観客のように。

「ああ、見てみい。今夜は満月やで……」

おれは理解していた。婆の言葉を待つまでもなく。

「あのお月さんみたいに、まん丸なお好み、焼いたるでぇ!」

今夜の贄は、おれなのだ。

「……生け贄がラム肉ばっかじゃ、神サンも飽きてしまうねんなぁ」

それまで押し黙っていた女が、ポツリと言った。その声を聞いて、最後に残っていた力が消えていく。

「わっはっはっはっは!」

婆と双子と女の、新喜劇の笑い声。

 

遠のく意識のうち、あるヴィジョンが見えていた。

法被姿のおれが、御輿に乗っている。

御輿は猛烈な勢いでどこかへ運ばれていく。屈強な男たちが、その御輿を担いでいた。御輿を見守る野次馬の群の中に、女がいた。熱い声援を御輿に送っている。

おれの表情は得意げで、そしてたまらなく楽しそうだった。

おれが乗っているのは、ダンジリ御輿だった。

ダンジリ御輿は、西を目指していた。