もうこはん日記

いまだ青い尻を晒せ

『リベンジポルノ☆イン・ザ・アメリカンドリーム』

アメリカ、カルフォルニア州。

彼は大学生で、恋をしていた。

相手は同じ学科の女性徒。彼女は気さくな性格で、若く美しかった。つまり大変に魅力的な女の子だ。

基本的に気が弱く、ややオタク気質の彼にとって、彼女は高嶺の花。

授業やなにかの集まりで顔を合わせれば、軽く話はする。ただそれだけの関係に過ぎなかった。

それでも彼女の声を耳にすれば、たちまちに美しいメロディが流れ出す。それは脳内サウンドトラック。その目には恋のフィルターがかかっている。彼女がそこに映っていれば、ただの景色が映画のワンシーンに切り替わる。彼女は憧れのヒロインだった。そして、それだけに眩しくて遠い存在だった。

彼女に思いを告げる気はなかった。この恋は片思いのまま終わるだろう。彼は最初から諦めて、切ない恋愛映画の気分にただ浸っていた。それでいいのだと思っていた。

 

だが幸運と奇跡は、なんのフラグも立てずにいきなり彼を訪れた。

その日、街で彼女に呼び止められた。お互いに一人だった。彼女はひどく酔っていた。すでに充分以上酔っているのに「もっと飲みたい」と彼を誘った。

二人は近くのバーに入った。予告した通り、彼女はよく飲んだ。それから、さめざめと泣き出した。

彼は大いに戸惑いながらも、必死で彼女をなだめた。根気強く話を聞いて、優しく励ましの言葉をかけ続けた。あくまで紳士的な態度につとめた。

つまり彼女は失恋の直後だったのだ。

ぽっかりと心に穴が開けば、そこに代わりのなにかが流れ込む。それだけの話なのかも知れない。彼の幸運は、まさにそのときの彼女に出会したことであった。そこにただ流れ込めばいいのだから。

そういうわけで、真夜中も過ぎる頃、ごく自然な流れで彼女は彼のアパートにやってきた。

恋い焦がれていた彼女が、いまこうして自分の部屋にいる。それは信じられない光景だった。悲しみに暮れる彼女はとても頼りなく、小さな女の子のようだった。普段の軽やかで快活な様子とのギャップが、より一層愛おしくさせた。

ベッドに並んで腰掛けた彼女との距離が、自然に近づいていく。そこには引力のようなものが働いていた。官能的なムードが漂っている。あとはオートマティックなその流れに従えばいい。楽園行きのチケットはもう発券された。乗り込んで離陸を待つだけだった。

「あれ、もしかしてカメラ?」

ふと彼女が言った。棚に置かれた、家庭用にしてはやや大げさなビデオカメラが視界に入ったようだ。

「映画、好きなんだね。もしかして、自分で撮ったりするの?」

部屋中に貼られたポスター、棚に並ぶDVDや映画の関連書籍、映画制作のハウツー本、いまさらのように彼女はそれに気づいたようだった。

「いま仲間と自主映画を撮ってるんだ。……実は、映画監督を目指してて」

彼はつい自分の夢を口にした。彼女はそれを聞いて少し驚き、照れながら告白した。

「わたしも、ほんとは女優になりたいの」

「ほんとに?」

「でも全然自信ないし。ただの憧れで……。一応、演技のレッスンには通ってるんだけど」

「いや、なれるよ、君なら。絶対に。だって僕はずっと君を……」

言い掛けて、あまりにも気恥ずかしくて止めた。「ずっと君の姿をカメラは追っていた。君はすでにずっと僕の映画のヒロインだったのだ」と。

まるで古臭い青春映画やマンガの世界だと彼は思った。狭いアパート、お互いの夢を打ち明ける若い男女。なんて王道なんだ。まさか自分がその登場人物になるなんて。

「あ、この映画すごく好き」彼女は近くに転がっていたDVDを拾い上げて言う。一昨日レンタルした『小さな恋のメロディ』だった。

「……よし、コーヒーでも入れるね」

「あ、ごめんなさい。わたし入れるよ。ポット、あるよね?」

彼女は立ち上がってキッチンの方へ歩いていった。

さっきまでの性急なムードはどこかに行ってしまった。いまさら野獣のように彼女に襲いかかる雰囲気ではなかった。官能の流れにはすっかり乗りそびれたに違いなかった。

それでも夜が明けるまで、二人は好きな映画や俳優の話をした。

熱に浮かされたように彼は自分の映画の構想も語った。それに頷く彼女の瞳はとても輝いていた。そんな話は、いくら話しても話し足りなかった。田舎から出てきた彼にとって、こんなにも楽しい夜は初めてだった。彼女さえそこにいれば、やはりすべてが映画になってしまう。

急に疲れと睡魔に襲われたようで、彼女は倒れ込むように眠ってしまった。彼はただその寝顔を見つめた。清らかで、美しい気分で心が満たされていた。

彼女はまるで天使だ。汚してはいけない特別な存在なのだ。彼はそう思った。

そういうわけで、その日、彼は彼女と寝なかった。

それが奇跡へと繋がったのかもしれない。

もし酒と失恋の勢いのまま彼女と結ばれていたら、単なる一晩の過ちで終わった関係だったかもしれない。

だが、そうはならなかった。

数日後、彼女は彼の撮る映画のヒロインに決まり、正式な彼の恋人になった。

彼が掴んだ奇跡は、そこにあった。

 

「頭の中に、ずっとイメージが流れている。それは一瞬の情景だったり、あるいは物語になっていたり、ときには音楽でもある。とにかくそれを、そのイメージを、この現実に定着させたい。はっきりした形にして、まず自分が見てみたいし、誰かに見てもらいたい。例えばそれが、僕にとっての映画なんだ」

まだ青い彼の語るその青い夢は、彼女という美しい花を得て、いま具現化しようとしていた。青臭さのふんだんに漂う、未熟な、でもそれ故に魅力的な自主制作映画として。

撮影は順調だった。初々しくも情熱的な彼女の演技、それは存分に彼の感性を刺激した。スタッフ達も真剣に映画に取り組んでくれている。イメージとアイデアは、湯水の如くに溢れ出した。それらを形にしていく産みの苦しみと、それに伴う快楽の渦が平凡だった日常を加速させた。

彼女と過ごす日々のすべてが、まるで夢のなかにいるようだった。

 

撮影中、彼と彼の映画クルーたちに困難が怒濤のように襲ってきた。

まず彼女の起用によって役を降ろされた元ヒロイン役の女優が、撮影現場に乗り込んできた。罵詈雑言を巻き散らかし、セットや小道具を破壊して回った。それを止めようとした助監督は全治二ヶ月の負傷。

ようやくその騒ぎが落ち着くと、今度はロケ地をハリケーンが襲った。撮影は再び休止を余儀なくされ、再開される頃には周囲の景色は一変していた。撮影済みシーンとの繋がりが取れない。彼は頭を抱えた。

主演の優男はマリファナ愛好者で、撮影の合間にもよく煙をふかして締まりのない表情を浮かべていた。それだけならまだ良かった。そのうちに幻覚キノコに手を出し「本当はシュワちゃんに憧れている。プレデターは俺が倒す」などと街中で錯乱、タンクトップでボーガンを振り回し、地元警察に捕まった。釈放されるとステロイドを乱用、みるみるマッチョ化していった。役のイメージからどんどんかけ離れていく。彼は頭を掻き毟った。

トラブルはまだまだ尽きなかった。次から次へと枚挙に暇がない。まるで『ロストインラマンチャ』だった。

「これは元ヒロインの呪いに違いない。どうやらブードゥ教徒だったらしい」

そんな噂がスタッフの間ではまことしやかに囁かれた。

それでも彼は撮影を続けた。夢はいまここにあるのだ。ここで投げ出してどうするのだ。天使のような彼女がヒロインとしてそこにいる限り、この映画は続く。

彼は数々の困難にもめげず、作品の完成に心血注いだ。

だから、彼女の心変わりにはちっとも気がつかなかった。

 

「恋愛なんて白昼夢みたいなもの。終わりも始まりも唐突なのは当たり前よ」

そう言って、彼女は彼に別れを告げた。

そのときの表情は凍り付くように決然として、それはそれで魅力的ではあったが、それまで彼に見せていた天使の笑顔とは180°の違いだった。彼への気持ちなど、そもそもの初めから存在しなかったかのようだった。取りつく島などどこにもない。

「そこにあった愛が真実だと気づいたの」と言い残し、彼女は元彼のもとへ戻っていった。元サヤというやつだ。ところが、それからすぐに彼女はまた違う恋の相手を見つけた。元彼はまたあっさりと捨てられたらしい。恐らくその次の相手も同じような目に遭っただろう。

つまり彼女は情熱的な女性だった。どこまでも自分の感情に正直だった。そこに躊躇いはない。天使のようでありながら、とんでもないビッチだ。だからこそ彼女は魅力的で、女優としても輝いたのだろう。

彼は破壊された自意識の瓦礫の下から理性の声を聞いた。「ようはお前はその糞ビッチに玩ばれたんだよ」それはそうかもしれない。でも本当に彼女が好きだったんだ。どうしようもなく。いまは苦しくて仕方ない。どうしようもない。「どうしようもないな」理性も降参して沈黙した。

美しい花は風に吹かれてその花びらを散らすし、夢は唐突に悪夢に変わることもある。

とにもかくにも、運命の女はこうして彼のもとから去った。

 

数々のアクシデントを乗りきった彼も、ヒロインの消失には耐えられなかった。

いつしか彼女の存在自体が映画製作の動機と合わさっていて、それは不可分だった。

「なんとか割り切って出演だけは続けてもらおう。あるいは代役を立てて。いや、脚本の大幅な修正で。とにかく、どんな形であっても作品だけは完成させよう」

スタッフ達は監督を説得したが、もはや彼は抜け殻だった。彼女との愛と一緒に、すべての夢は終わったのだ。

「あなたと一緒にいることは出来ない。自分に嘘はつけない。ごめんなさい」彼女はそう言っていた。もう監督と女優としての関係も成り立たないだろう。この映画に対して、もはや彼にはなんのイメージも湧かなくなっていた。

混乱と罵声と嘆願と失望の果て、彼の映画チームは解散した。「顔も見たくない」「いや殺す」「金と時間を返せ」「シネ」何人もの仲間にそう思われただろう。

振り返ってみれば、わずか半年余りの出来事だった。彼女をヒロインに撮影が開始し、こんな結果になってしまうまで。

その半年間で、彼はあらゆるものを失った。美しい恋人と夢。作りかけの自主映画とそれに関わったスタッフ。かけがえのない仲間たち。まるで映画のような青春を。

 

砕けた心と、かなりの額の借金が彼に残された。

そして断片的なシーンが記録された膨大なテープが部屋に積み重なっていた。恋と夢と青春の残骸だ。

彼はそれを独りで見直した。そこに彼女の存在を追った。

真剣に役を演じている彼女。撮影の合間に見せる無邪気な笑顔。ロケハンと称して出かけたドライブ。西アメリカのダイナミックな景観に見とれる彼女。彼が向けていたカメラに気づいて照れる。映画の撮影やプライベートシーン、様々な場面の彼女がいた。彼女は美しく輝いて見えた。いまはもういない彼女が。

その不在の彼女が、いまや圧倒的に不可解な存在として彼の心を蹂躙していた。こんなにも自分は彼女を愛しているが、彼女はそうではない。かつての日々はもう戻らない。あれは幻か。しかし記憶とその証左の映像はここにある。

彼はそれらの映像をつなぎ合わせて編集した。誰にも見せるつもりもなかった。それでもやはりそれは彼の作品だった。だからタイトルまでつけた。自嘲気味な気分で。

タイトルは『月曜日の彼女』。

日本の映画で『月曜日のユカ』という作品があった。以前、彼はそれをレンタルビデオで観た。コケティッシュなヒロインが周りの男を翻弄するという内容だった。そのイメージが頭にあった。

それからもう一つ。彼女がアパートにやって来たのは日曜の深夜だった。翌朝は雨が降っていて、目を覚ました彼女はアルバイト先に連絡を入れた。女優志望としては随分わざとらしい演技で仮病を使った。そんな彼女に、彼はふざけ半分でカメラを向けた。彼女は「やめてよ」と照れたが、妙にはしゃいでもいた。大学の講義をさぼり、その日は二人だけで過ごした。最初に彼が彼女を撮影したのは、そんな月曜日だった。

だから『月曜日の彼女』だった。

 

完全なるマスターベーション映画を観ながら、彼は実際のマスターベーションを試みた。

ところが彼のペニスはどうやっても反応を示さなかった。意地になって何度も挑戦したが、駄目だった。

「終わってしまったんだ」

萎びたような自分のペニスを見つめ、彼は呟いた。もうすべてどうでもいい。自分は終わってしまったのだから。

しかし当然ながら、恋や夢が終わってもインポテンツに陥ろうとも、生きている限り人生は終わらない。死なない限りは生きるしかないのだ。でも彼はもう終わったと思っていた。そして、もう終わっているのだから、わざわざ自分で自分の命を終わらす必要もなかった。彼は抜け殻のまま、ただ生きていた。

大学にも行かなくなって、年度末に学費未納で自動除籍になった。借金の督促も、家族や数少ない友人からの連絡も、何もかも無視した。借金のことでは裁判所から訴えられそうになった。その借金は田舎に住む両親が支払った。

そして彼はアパートを引き払い、飛行機に乗った。

もう戻るつもりはなかった。自分はもう一介の塵芥に過ぎない。だから、どこへでも流れてしまえいい。

 

流れ着いたのはアムステルダムの裏街だった。

あるいは心のどこかで、新天地での再生というやつを目論んでいたのかもしれない。もしそうだとしたら完全に逆効果だった。余計に始末におけない状態に陥った。そこは世界中のろくでなしの吹き溜まり。いまや彼もそのヨーロピアントラッシュ。流れ着いて濁りたまって淀みきっていた。

お決まりのコースとして、酒と麻薬に溺れた。目が覚めればまず選ぶ。煙かウィスキーか粉末か。飾り窓の女を何回か買ってはみたが、実際に裸の女と向き合うとたちまち萎えてしまう。その代わりに男と寝ることを覚えた。想像していたよりは悪くなかった。チンピラまがいのことで日銭は稼げた。自分で思っていたよりは数段に逞しい人間だった。「俺は終わっているんだ」口癖のように呟きながら、汚辱にまみれた毎日を堪能した。それもまた美しい青春の日々と言えなくもなかった。そうやって若さと可能性は浪費された。

そのうちにどうにもならなくなり、彼は帰国した。なかば強制送還だった。

 

帰国したばかりの彼は廃人同然だった。

年老いた両親は、日曜日には必ず彼を教会に連れて行った。そして更正を神に願い、本人にも再起を促した。

その甲斐あってか、数年後にはなんとか人並み少し以下の生活は送れるようになっていた。

何もない田舎町。工場での単純作業。僅かばかりの賃金。気の滅入る両親とのディナー。日曜日の教会。月曜日からはまた出勤。その繰り返し。閉じた円環。出口はない。

それでも、ようやく人間性を回復したのだ。帰国直後は酷い状態だった。それこそ自分で自分のクソを拭くこともままならなかった。

彼はその平穏な毎日に満足しつつあった。少なくとも、そうであろうという気持ちだった。

 

ある日の仕事帰りにレンタルビデオ店に寄った。そこは彼がハイスクールの頃に通い詰めた場所だった。来るのは本当に久しぶりだった。

棚にはあの頃のまま、思春期の彼を奮い立たせた作品が並んでいた。パッケージの俳優が彼に語りかけた。

「まだ諦めなくったっていいだろう」

忌々しい幻聴が彼の頭にリフレインした。フラッシュバックする挫折体験。映画と女と仲間。それより前のもっと無邪気な自分。その後の日々。薬漬けになった脳味噌。カウンセラーの女の腋臭。この状況。あの教会の神父は恐らくはホモだ。誰も言わないが皆分かっている。無駄な経験則。日が差ささぬ未来の果ての死という救い。

そして映画俳優たちは口々に勝手なことを喋り出す。彼を罵倒しながら鼓舞し、現状を否定し未来を祝福した。それこそが忌まわしい呪い歌として彼の頭で鳴り響いた。

もちろんなにもレンタルせず、ただ耳を塞いでそこを後にした。逃げ出すように。そして彼は自分のなかの変わってしまった部分と変われずにいる部分を自覚した。

 

とうに夢は破れた。

それは便所紙。乱暴にケツを拭いて、トイレで汚物と一緒に流した。すでに終わってしまった自分がこの終わっている田舎町で静かにまた終わっていくだけ。

それでもまだ少し残っていたらしい。クソみたいな夢がしつこく便器にこびりついている。拭き損なって指先にまで引っついていた。酷く匂う。不快だ。流れろ。不潔だ。流れない。流せ、クソ。

 

静かに燻り続ける彼に火をつけたのは、あるテレビ番組だった。

リビングで母親が眺めていた、ごくありふれたドラマシリーズ。そこに彼女の姿を見つけた。

完成しなかったあの映画のヒロイン。天使のようなヴィッチ。彼を踏みにじった運命の売女。その彼女がそこにいた。

主人公達が通うコーヒーショップ店員。ほんの端役に過ぎない。けれどもやはり魅力的だった。いまだそう感じる自分を彼は認めた。彼女が本当に女優になっていたことは驚きだった。

インターネットで彼女に関する情報を集めた。これまでは舞台を中心に活動し、テレビに出るようになったのはごく最近のことらしい。もうさして若くもなく、遅咲きといってもいいだろう。このまま地道に脇役の線で売っていくのだろうと思われた。

ところが彼が彼女の存在に気づいたのとリンクするように、世間も彼女の魅力に気がついたらしい。

徐々に出番を増やしてサブレギュラーに、最終的にはなんと主人公の恋の相手役にまで昇格した。瞬く間にファンクラブが発足、トーク番組のゲストにも呼ばれ、ドラマだけでなく映画にもキャスティングされた。

それから間もなく彼女は恋愛スキャンダルでも世間を賑わせた。出演ドラマの監督、プロデューサー、共演俳優たち、黒人ラッパー、ラグビー選手、大リーガー、衆議院議員にNY地下鉄のホームレス、ミックジャガー……。数々の男たちと浮き名を流した。なんでもありだった。それがどこまで本当か分からなかったが、彼はこう思った。

「相変わらずのクソビッチ。しかもパワーを増している」

PCモニターを睨みながら彼の心は毛羽立ち、それは奇妙な快感を伴った。憎しみは愛情に似ている。いや愛情が憎しみに似ているのか。どちらも執着と仲が良い。

彼はファンクラブに入会した。匿名掲示板に毀誉褒貶入り交じった、もはや妄想に近いメッセージを書き込んではファンと自分自身を煽った。出演するテレビ番組、ドラマ、映画は欠かさずにチェックし、ソフト化されたものは欠かさず購入した。

彼の生活は再び彼女を中心に周り始めた。以前とは大分形が違うが。彼は夢破れ寂れた田舎町、彼女は華やかなりし世界の中心でライトを浴び。

愛憎入り交じる暗い情熱が加速してゆく。

 

彼女の初主演作が発表されたとき、そのボルテージは最高潮に達した。

新進気鋭の若手と紹介された監督は、彼のあの映画で助監督をしていた男だった。

あんな奴までもそのステージに。あの頃の奴に大した才能なんて感じられなかった。理屈と知識だけをこねくり回す、よくいる映画オタクに過ぎなかった。それがいっぱしの監督ぶってインタビューを受けていやがる。なにが「時代を拓く映画を」だ。ふざけやがって。信じられぬ程に忌々しい。置いて行かれたのは、この俺だけなのだ。

監督と彼女との間に恋愛関係の噂もあった。さすが安定のクソビッチ。再会した二人は俺のことを話題にしただろう。それはぼやけた青春の思い出か。あるいは薄く笑いながら「あんな奴いたよね」か。実際、ある映画雑誌の取材では「監督とは学生時代からの付き合いで……」などと答えていた。もちろん、そこでは俺のことは話されない。俺はただの詰まらない過去だ。公式にはいなかったも同じだ。

「クソビッチが。いまに見ていろ」

彼は日曜日の教会に顔を見せなくなった。そして月曜日になっても工場に出勤しなかった。

実家の物置には、大学時代の荷物が突っ込んであった。彼はそれを引っかき回し、膨大な量のビデオテープ、それから古いパソコンからハードディスクを抜き出した。それから部屋に閉じこもり、滅多にそこから出てこない。両親はまた大いに嘆いたが、そんなことは目に入っていなかった。彼はもはや夢中だった。

 

彼女の主演作が全米公開された。その一方で、インターネットではある動画が出回り始めていた。

あの『月曜日の彼女』だった。

あどけなさが残る彼女がそこに映っていた。気恥ずかしくなるほどに感傷的な作品に仕上がっていた。世間を賑わせている人気女優、その青春時代の恥部を盗み見るような気分にさせた。

映画のヒットと比例して『月曜日の彼女』もまた話題を呼んでいた。

そのタイミングを見計らったように、第二弾の動画が公開された。それは『月曜日の彼女』の続編でありながら、少し趣が違っていた。

彼女の艶めかしい姿態がところどころ晒されていた。例えば主演作でもまだ披露されていない彼女の美しいバストトップが、はっきりと映っていた。

そのオッパイ効果によって、動画は爆発的に広まった。

一つのサイトで削除されたところで既に誰かにコピーされている。一度ネットに流れたら、完全なる抹消は不可能だ。ありとあらゆる動画サイトに流れ、アメリカだけでなく世界中にそれは拡散された。

そして満を持して公開された第三弾。

それは完全なるポルノだった。

まだ十代の彼女のあられもない姿。局部もヘアーもなにもかも当然のように無修正だった。天使のような彼女は露骨なくらい扇情的に振る舞っていた。ベットの上で、ソファで、バスルームで、ときには野外で。痴態の限りが繰り広げられていた。その臨場感に観るものは生ツバ飲み込んだ。

一級品のポルノと言ってもよかった。

 

過ぎ去った思い出はいつしか映画のワンシーンのようにエンコードされる。青春時代の恋愛なんてものは特にそうだ。既に失ったものは常に美しい。

けれども愛だの恋だの切ないだのは置いといて、いや、まずその前提として。液体と肉体の交換と交歓が、激しい粘膜の擦り合いがそこにはあったのだ。つまり青春時代は性春時代だったのだ。

彼は自主映画の監督をしている若者で、彼女はその主演女優。二人は恋人で日常的にセックスが行われ、部屋には高画質のビデオカメラがあった。一緒に過ごした半年間、そうした行為の撮影に及んでいてもなんの不思議もない。

情熱的で奔放な女優in the bed。アングルや画にこだわりを持つ監督in the bed。二人は愛し合っていた。繊細さと性欲と若さと切なさと情熱と好奇心が入り交じってそこにある。その青春の思い出はデジタル保存されていた。データの復旧は容易い。

徹底的に醒めた目で彼女とのあらゆるシーンが再編集された。

そして公開。ネットに映像を流すことなんて僅か数クリックで出来てしまう。現代のテクノロジーは進んでいる。個人的な思い出が全世界で共有される。そのハードルは低い。

かつて涙を飲みながら編集した『月曜日の彼女』を流用し、さらに甘く切なく仕上げたパート1。そこからパート2、パート3の激しいポルノ。

彼はそれらをインターネットに公開した。作品は観られるために作られる。

ただしパート3にはロックをかけて限定公開にしていた。すべて観賞するには振り込み金が必要だった。ここに来て有料制を導入したのだ。それは彼の戦略だった。

そして実際にかなりの収益が生まれた。

もちろん動画に対するニーズが高まることにつれ、そんな課金システムはあっさり突破された。あらゆるところでコピーが出回る。多少の検索能力がある人間なら、いくらでも無料で彼女の痴態が拝めた。それくらい『月曜日の彼女』は広まっていた。

だが金を儲けることが彼の目的ではなかった。

それはあくまで手段と過程の一つに過ぎなかった。

 

動画で得た金で、彼は新しく部屋を借りた。

部屋中に据え付けられた幾つものモニターが彼を囲んでいる。そこに『月曜日の彼女』がエンドレスで流れている。その再生回数もリアルタイムで表示されていた。

彼の個人的な経験を、彼の思い出のなかの彼女を、世界中の人間がいままさに共有している。急上昇を続ける再生数チャートがそれを表していた。

もう何時間も、ただ彼はそれを見つめていた。

やがて彼はズボンとパンツを下ろした。そしてマスターベーションを開始した。

なんという壮大なマスターベーション。ため込んだ思いや欲望がここに集約し、不特定多数の他者をそこに巻き込んでいた。

彼の目的はそこにあった。この究極の射精の恍惚、それを味わうことが彼の復讐だった。インポテンツの克己であった。

あの頃の瞬間的にせよこの俺を愛していたに違いない彼女、そして俺のことなどすっかり忘れ華々しく活躍しているいまの彼女、俺の心をかき乱し人生を狂わせた天使のようなビッチ。その女をこうして辱める。それ以上の快楽はない。いつしかそう気づいていた。現在を壊し、さらに未来までも壊す気でいないと、本当の未来なんてものはやってこない。そうだった。やっと思い出した。分かっていた話じゃないか。俺は加速する。この世界と同速度か、それ以上で。俺はやった。やってやった。彼が愛したあらゆる映画のBGMが流れ、それらの映画の登場人物達がみな彼を祝福した。憧れて止まなかった名監督が遠く雲の向こうで彼に頷く。あの頃の彼女といま現在の彼女とが交錯しながら彼とセックスした。インド神話の神と女神のそれのように数千年の間、果てしなくまぐわい続けた。ペニスを擦り上げていると、そのようなイメージが脳内で氾濫した。

そして彼は射精に至った。

まるで封印が解かれたようだった。白い爆発。激しい絶頂。湯水のように後から後から、わき出して止まらなかった。モニターの青白い光が照らすこの部屋の至るところに、虹のように降り注いだ。

やがて深遠なる賢者の時間が彼にも訪れたが、そこに後悔と呼ばれるような感情はなかった。

これからもこの動画はネットの海に流れ続けるだろう。彼女との思い出が世界に共有される。半永久的にそれは続く。彼女との瞬間が永遠に変わった。

そう考えると彼はまたさらなる恍惚に包まれた。

 

彼は幾つかの媒体の取材を受けていた。そこでは包み隠さずにすべてを語った。かつての彼女との関係とその終局。完成しなかった映画。その後の人生。いまの状況。

そのインタビュー記事は一部の大手メデイアでも取り上げられた。もはやアンダーグラウンドだけでの話題ではなかった。

彼女サイドはそれに対して沈黙を守った。致命的なスキャンダルという一方、彼女への注目度は恐ろしいほどに高まっていた。あるいはこれはチャンスだ。どういう態度に出るべきか、いまだ決めかねていたのかもしれない。

彼のもとには様々な嫌がらせや脅迫が相次いだ。でもそんなことはどうでもよかった。私設のボディガードを雇い、彼は世間から隠れるように自室に籠もった。誰にも邪魔されず、恍惚の余韻に浸っていたかった。いましばらくは。

 

そして彼は逮捕された。

2013年にカルフォルニアで制定された、リベンジポルノ規制法によって。

禁固一年の刑が下り、彼は収監された。

 

「リベンジポルノ界のイノベーター」「最低の元カレ」「猥雑か芸術か」「類希なる女々しさ」「壮絶な感傷」「現代ポルノマーケティングの寵児」

動画そのものだけでなく、もはや彼自身が話題の人物になっていた。逮捕直前には優秀なエージェントがついていた。そのエージェントを通して獄中から意見を発信した。自分自身についてはもちろん、政治経済、芸術分野、ITテクノロジーに宇宙開発事業などその内容は驚くほどに多岐に及んだ。それはメールマガジンやTwitterでネット発信された。

彼が出所すると動画で得た財産は没収されていた。だから無一文も同然だったが、その存在と言動はいまや多くの人に注目されていた。

不摂生で弛んでいた身体も刑務所暮らしで引き締まり、若さと健康を取り戻した彼は、今度は大々的にあらゆるメディアに登場した。

『囚人ダイエット』『A Love Letter From Prison』『青春ポルノ』など、獄中で書かれた著作は軒並みベストセラー。各メディアに引っ張りだこで、毀誉褒貶を巻き散らしながらアメリカ中を席巻した。ネットテレビでは冠番組が始まり、独特な司会ぶりがカルトな人気を呼んだ。各界の著名人とも対談などを通して親交を得た。彼は一躍時の人。見える世界が一変していた。

一方の彼女もまた逞しかった。彼の収監から出所後まで、噂の動画についてはっきりした言及はしていなかった。しかし微かにそれを匂わせるような言動で、思わせぶりな態度を貫いた。余裕のようなものさえ感じられた。そして相次ぐ取材や出演依頼のなかから、自分にとってプラスに働くものを選んで受けていた。結果的に見て、その嗅覚は確かだったようだ。

社会的罰則をある意味でのキャリアに変えてしまった彼に対し、彼女もまたスキャンダルを利用してうまく立ち回っていた。

 

やがて彼に映画監督の話が舞い込んだ。一部では『月曜日の彼女』の作品としての評価が高まっていたらしい。二つ返事でそれを受け、限られた期間と低予算で作品を仕上げた。完成したものは難解な内容で、国内での興行成績は振るわなかった。ところがヨーロッパの映画祭で栄誉ある賞を受賞した。その授賞式やインタビューではどこか投げやりな態度を崩さなかった。基本的に不機嫌で「こんなことで自分は満足しない」そう言いたげな表情だった。それが逆に彼の人気を高めた。彼は世間からアーティストとして認識されるようになった。

彼女の方もまた順調だった。当初は明らかにポルノ騒動を想起させるような役柄も多かったが、徐々にそのイメージからも自由になり、女優として様々な作品で存在感を示した。やはり恋愛沙汰は耐えなかったが、もはやそれは彼女には欠くことのできない要素であり、魅力の所以にまでなっていた。彼女の恋人たちは世の男性から羨まれた。そのライフスタイルは同性の支持も集め、女性誌で特集が組まれた。

 

ある時期を境にして、彼は彼女についての発言を控えているようだった。

その種の質問には皮肉な笑みで沈黙を返すか、出鱈目を喋って煙に巻いた。

もはやあの事件も過去のものに過ぎないのだろう。彼に近しい人間も、そのように考え始めていた。いまや彼は新進気鋭の映画監督なのだから。

いつしか彼は知的で静謐な、いかにもアーティストらしいムードを漂わせるようになっていた。

 

「レベルの低い観客達はわざとらしい演技と演技に感動して涙など流すだろう。でもそれと同時にその低脳どもは、彼女のオマンコを穴の開くほど見つめていたはずだ。……ああ、穴はもうすでに幾つか開いていたか。あの淫らな洞窟とクソと小便の通り道が。いや、失敬。……とにかくその穴に僕のペニスが出入りするファッキンナイスな様子に彼らは涎を流してPCモニターの前で些末な性欲をたれ流す。それからスクリーンのなかの難病に冒されて永遠の愛を誓う気高い彼女に涙を流す。実に愉快な話じゃないか。人気女優の彼女について興味を持った人間がネットで彼女の名前を検索すると、若い日の彼女のすべてがそこに晒されている。あるいはその逆でもいい。嗚呼、それこそが素晴らしいことだ。ポルノから映画、映画からポルノ。天使のようなビッチは健在だ。ブラボー、拍手を送りたいよ」

彼が沈黙を破ったのは、ある討論番組に出演したときだった。

そこで彼は、ある巨匠監督の次回作にコメントを求められた。その答えがこれだった。作品は19世紀の文豪原作の文芸大作。主演女優は彼女に決まっていた。

番組は生放送だったので、早口でまくし立てられた放送禁止用語の数々が、アメリカ中に垂れ流された。

すっかりそれで話題をさらわれた老監督は旋毛を曲げ、降板騒ぎにまで発展しかけた。なんとか作品は完成はしたが、評価はあまり良いものにはならなかった。

 

堰を切ったように、彼は暴れ出した。

現代社会や既存のメディアへの皮肉が織り交ぜながらも、つまるところそれは彼女への誹謗中傷であり、ストーカー的な愛の告白だった。

あるイベントにゲスト出演した彼はメッセージがプリントされたTシャツを着ており、そこには彼女を名指して「suck me(吸ってくれ)」と書かれていた。若手芸術家が集まるサロンに顔を出して乱闘騒ぎを起こし、例の助監督と自分自身を病院送りにした。退院を待ちかまえていた報道陣に向かって「すべてはあのオマンコが悪い。それが僕を狂わせる」と即興のラップを披露し、カメラにファックポーズを決めながら「I love you」と彼女へのメッセージを絶叫して失神した。このような騒ぎは頻繁に繰り返された。彼女を口汚く罵倒し、その一方で「天性の女優」と激しく誉め称えた。

野次馬メディアの主役へと返り咲く一方で、彼の社会的立場は悪くなっていった。最近の彼の言動はただ下品で幼稚で短絡的だと見られた。

もちろん彼女にとっても迷惑としか言いようがなかった。すでに本格の女優として世間には認められていた。リベンジポルノ騒動はもう完全に過去のものだった。それをいまさら。実際に仕事に差し障りが出始めていた。

これは彼の再リベンジなのだ。やはり彼女の華々しい活躍は見るに耐えなかったのだ。自分の存在も世間に認められるようになっていてもなお。それだけその傷は彼の心に深く残り、いまだに膿んでいるのだろう。

多くの人たちはそう考えた。そして、あまりにしつこい彼の女々しさに呆れた。

 

ついに彼女の事務所から、正式な書面が送られてきた。

これ以上、彼女に対してその種の発言を続けるのなら告訴するという警告だった。

それを待っていたように彼は返事を書いた。それに対しての返事は来なかった。彼はまた暴れて見せた。

再び書面が届いた。

また返事を書いた。その返事もやはり来なかった。

書面は送ってくるものの、彼女サイドもなかなか告訴には至らない。リスクを考えてのことだろう。

警告文と彼の手紙、そのやり取りが幾度か続いた。

大方の予想に反し、彼の手紙の内容はかつての恋人へのセンチメンタルな、あるいはサイコパス的な恋文などではなかった。

それは監督から女優としての彼女へ、正式な映画の出演依頼だった。

密かに暖めていた次回作へのオファーだった。

何度無視されようと、彼は送り続けた。

 

そして彼女はその出演依頼を受けた。

どんな思惑があったのか、それは分からない。彼女はとにかくそれを受けた。そして撮影は始まった。

再び彼女をメインヒロインにしたその作品は、かつて頓挫したあの学生映画の焼き直しだった。

現在の彼のセンスで大胆なアレンジがされてはいるが、根幹部分はあの頃のまま。青臭さは変わらずに残されていた。

あの日、彼女が彼に別れを告げてから十年以上が経っていた。

完成した映画は大きなヒットを飛ばし、主演女優と監督は共に数々の賞を獲得した。

 

アカデミー賞授賞式の会見で、二人は結婚を発表した。

それで作品はさらに話題を呼んだ。

もはや、その映画は彼と彼女の物語であった。

すべてが達成された。復讐は祝福を受けた。

 

それから数年後、かねてから不仲が噂されていた二人は離婚した。

立て続けに生まれた子供たちの親権は彼女に渡った。「三人の子供のうち、少なくとも一人の父親は彼ではない」タブロイド紙は断定的な記事を出していた。彼女は相変わらずに彼女だった。美容整形を重ね「もはやサイボーグ」と揶揄されようが、それでも彼女は美しい。若い男が出来たらしい。子供たちを連れ、またあっさりと出て行った。中年になった彼はプール付きの豪邸に一人取り残された。

しかし彼もいまやセレブだった。例えば金で愛は買えないのかもしれないが、愛を手に入れるのに金は大変有効だ。彼女が去った痛手もやがては埋まってしまうだろう。

復讐劇はもう終わっている。しかし、どこからどこまでが復讐だったのだろう。もはや自分でも分からなかった。だが、それでいい。

今日も彼は若い女優を侍らせてスポーツカーを乗り回す。ずっと放っておいた次回作に手を付けてみるのもいい。そうやって人生は進む。そしてそのうちに終わる。それだけだ。

彼はアメリカンドリームを手に入れた。誰にそれが否定出来るだろうか。

彼の劇場公開作品はいまでも時々テレビ放映される。レンタルビデオ店に行けば『月曜日の彼女』は映画コーナーとポルノコーナー、その両方に必ず置いてある。

 

 

劇終。