もうこはん日記

いまだ青い尻を晒せ

ジャスティス・カスタマー

 地元の国道沿い、道の駅。

 

f:id:moukohan29:20131130114020j:plain

 

 そこには本館とは別にバラックのような別棟があり、幾つかの飲食店が入っていた。客はそれぞれ好きな店で好きなものを注文し、テーブル席でそれを食う。いわゆるフードコート形式だ。

 その中のうどん屋が、最近のおれたちのお気に入りだった。

 

 その店に初めて来たときのことだ。調理場の店主を見て、Eが言った。

「あいつを見ろよ。……よく太っているだろう。知ってるか? 太った奴が本当に美味いものを知ってるんだぜ。こだわっているからな、食うことに」

 なるほど彼は丸々と太っていた。そして確かに自分の仕事に対するこだわりが感じられた。食券を受け取るときの彼はメガネの奥の目が気弱そうに泳ぎ、卑屈なまでに腰が低かった。だが、いまはどうだ。

 ぐらぐら煮え立つ大鍋を前に、麺の茹で加減をコンマ一秒単位で見極め、その合間を縫うように天ぷらを揚げていく。まさに孤軍奮闘。おれの戦場はここ以外にない、そう言わんばかりの気迫。

「太ってるのがポイントさ。例えば焼き肉屋の主人がガリガリだとしたら、とても信用出来ない。自分の焼いた肉、ほんとに食ってんのかよって思うだろ。やっぱデブに限る。説得力が違う」

 Eは店主に熱い視線を向けたまま、そう語った。

「……蕎麦屋なら痩せてていいかもな」

 ふと思い出したようにEが呟いた。

「でも、ここはうどん屋だ」

「そうだな」

「ああ、うどん屋はデブでいい……」

 満足そうに頷き、コップの水を飲み干すE。喉仏が上下するのがはっきり見える。E自身は筋肉質で痩せていた。普段から肉体労働をしているので、贅肉がつく余裕がないらしい。

 おれは黒ごま坦々うどん、Eは散々悩んでカレーと冷やしたぬきうどんのセットを注文していた。地場産の小麦粉を使った手打ち麺がここのウリらしい。カレーや丼ものも一通り揃っていて、それらのセットメニューも充実している。

 やがて食券番号が呼ばれ、おれたちはいよいよ食事にありついた。

 

f:id:moukohan29:20131130112654j:plain

 

 小麦粉のお陰なのか分からないが、たしかに麺にコシがあった。ツユの出汁もしっかり取られている。揚げ物も丁寧な仕上がりだ。調理や盛りつけの随所には、細やかなこだわりと丁寧さが感じられた。Eがカレーを絶賛するので一口貰って食ってみると、なるほど、これはうどん屋の片手間メニューとは思えなかった。スパイスを利かせた独特なルー。これをメインに店をやってもおかしくない出来だった。相当な手間がかかっているはずだ。

 太った店主の仕事を誉めちぎり、おれたちは食事を終えた。すばらしく満足だった。これだけ真っ当なものを食わせる店が、いまこの辺りにどれくらいあるだろうか。それでも価格設定や提供時間などは、あくまでフードコート。ここは穴場に違いない。Eとおれは無言で頷き合った。

 

 そして今週もまた来てしまった。

 あれから、ほぼ毎週のように通い詰めていた。フードコート並びの他の店も気にはなっているのだが、気がつけばうどん屋の食券を買っている。

 今回、おれはカツカレーの単品を注文した。価格設定的にこれだけが妙に浮き上がっていて、それはつまり相当の自信があるのだろう。そう睨んだのだ。そして期待通り、まさに絶品といってよいものが出てきた。柔らかだが充分に肉々しい豚カツは、さっくりと揚がっている。濃厚な黒カレーとのハーモニーがたまらなかった。咥内に豊穣が溢れた。もちろん、Eの頼んだ鳥天丼セットも立派な仕事をしていた。

「ううむ」とおれはうなり、Eも「むう」などとうなり返した。

 

f:id:moukohan29:20131130113054j:plain

 

 うなり合いながら食後の余韻に浸っていると、いつの間にか辺りは混雑していた。連休のなか日だ。昼近くになって、施設全体が賑わい始めていた。

 厨房の店主も目が回るような忙しさだ。実際に彼は目を回しかけているように見えた。急なラッシュに対応が追いつかないのだろう。無理もなかった。カウンターには次々と食券が出される。

 小さな女の子がそこらを走り回っている。祝日だけあって、やはり家族連れが多い。

 下げ膳をして店を後にしようとするが、Eがカウンターの方を向いたまま動かない。

「どうした」

「……なんだ、あれ」

 食券の渡し口のところで、客の男が店主に向かってなにか言っている。

「ねえ、舐めてんの? 舐めてるよね、完全。……おい、ざけんじゃねえぞ、コラ」

 よく聞いていると、それは完全に恫喝になっていた。

 絡んでいるのは、おれたちとほぼ同年代と思しき男だった。服装や仕草にたまらない北関東ぽさが漂う。全体的に「むかしはちょっとヤンチャしてました」とでも言いたげで、つまりここらの男として、ごくありふれていた。標準的な元ヤン。一山いくらの安い野郎だ。

 それでも明らかに気の弱そうな店主の目は、完全に泳いでいる。しどろもどろに「うう、ええ、まあ、その、はい、それは……」などと消え入りそうな声でぼそぼそ呟く。脂汗まで浮かべている。男はその様子に「なにビビってんの(笑)」という小馬鹿にした笑みを浮かべ、なお食いついていく。

「あのさ、おれが頼んだセットのは、けんちんうどんなわけ。これ、きつねうどんじゃん。あきらか違うでしょ。見ればわかるだろ、オッサンよ」

 ……あまりにも下らない文句の内容に驚いた。そんな些細な間違いを得意げに追求して、なんになるのか。この野郎がこうやって無駄に絡んでいるうちに、また注文が溜まる。オペレーションが滞る。こんな客は落ちものパズルゲームの妨害ブロックでしかない。さっさと消えろよ、おじゃまぷよ。

 さっきからフードコート内を走り回っていた女の子が、その男の側に来て言った。「パパ、なにしてるの?」男はその小さな娘に優しい笑みを向けて「うん、このオジサンがね、間違ったことしてるから、謝って貰おうとしてるんだよ」と諭すように答える。

「……な、だからさ、まず謝ってよ。そっちが悪いんだから。おれら、客だよ? 子供でも分かるでしょ。常識、常識」

 再び店主に向き直った男の言葉を最後まで聞くか聞かぬうち、おれは激高していた。

 

「てめえは何様なんだ。なんだその得意げなカスタマー面は。おい、お前のどこが正しい? 自分が文句なく正しいって根拠は、そのスカスカな頭にちゃんと入ってんだろうな? おれに説明してみせろ。……ド低脳の癖しやがって。殺すぞ、クソが」

「……は? なんなの、お前? 関係ないだろ。なにキレてんの? 殺すよ? 逆に? マジで」

 瞬く間に、おれと男はつかみ合いになっていた。

「落ち着け」Eがおれを後ろから羽交い締めに男から引き離そうとする。後ろの方から「やっちゃえ、ユーヤ」と女の声が聞こえる。この男の嫁か。恐ろしいくらいに頭の悪そうな声だった。負けず劣らず迂愚な様子で「おお、やってやんよ」と男は声援に応え、身体が離れる際に、おれの鼻先にパンチを食らわせた。そして完全に離れたところで「ちょづいてんじゃねえぞ、コラァ」と凄んでみせる男。「ユーヤ、いいパンチ!」と嫁のエール。

「……大丈夫か?」耳元でEが囁く。大した痛みは感じなかったが、大げさなくらい鼻血が出ている。手でそれを拭い、その熱さに、おれは更に高ぶった。

「……死ねェェェェ!」

 叫びながら男に向かって駆け出した。

 脳内にドーパミンが噴出し、時間の流れはスロー化している。……周りを囲う野次馬たちのリング。流血沙汰を非難するようでいて、更になにかを期待する表情の連なり。モブどもが、その期待に応えてやるよ。ゴングは鳴った。見ていろ、いまあのクソ野郎をぶち殺してやる。男との距離が徐々に詰まっていく。いかにも微妙なサーフブランドのロンT。同じようなものを中学の頃のおれも着ていた。勝ち誇ったような表情で固まっていた奴の視線がこちらを向く。ややつぶらなその瞳の奥の鈍い輝き。アドレナリンで引き延ばされたその時間の、さらに刻まれたその一瞬に、野郎の意識がおれに流れ込む。

 ……私鉄沿線、準急停まらぬ駅近くのアパート。駐車場にはワンボックスカー。本棚にはワンピース。冷凍食品のたこ焼きとオムライス、マジで馬鹿に出来ない。でも嫁のパスタだって普通に食える。大親友の彼女のツレだったお前。居間に転がった1クール前のプリキュアの玩具。ガキは無邪気なもんさ。明日も早番出勤マジ怠い。ユトリ世代は職場の礼儀を知らねえ。それでもこうして、家族三人生きていく。あらゆるもに日々感謝、マジ感謝、ときには顔射。滞りなく愛ってやつはここにある。

 そのとき脳を浸したこれらのイメージはある階級に対するおれの偏見に満ち満ちていて、つまり一方的な侮蔑を込めた類型的妄想に過ぎなかったのかもしれないが、やはりそうではない。これは真実、奴の意識が流れ込んでいたのだ。思えば、あのとき既におれのなかで因子が目覚め始めていた。

「……らあァァァァ!」

 勢い最高で踏み切って、宙に飛んだ。両足を揃え、蹴ると言うより身体ごとぶつける。

 ドロップキックだ。

 着地のことなどは考えていない。全身全霊を持って対象を粉砕する衝動を、野郎に直接ぶち当てる。

 そして時は通常速度で動き出す。

 ドロップキックが胸板にクリーンヒットし、派手に吹っ飛ぶ男。やはり受け身を取り損ない、腰をしたたか地面に打ちつけるおれ。痛みでなかなか立ち上がれない。だが野郎も起き上がっては来ない。

 

「ユーヤ、しっかりしてよォォォ!」

 野郎の女房が金切り声を上げている。どうやら、かなりのダメージを与えられたようだ。おれの暴力衝動は満足な結果を得て充足された。「大丈夫か?」Eに助け起こされ、痛めた腰を庇いつつも、なんとか立ち上がる。

「……待ちなさいよ」

 その場を去ろうとしたおれたちの前に、今度は野郎の嫁が立ちふさがった。

 嫁はヒョウ柄のフリースにスウェットのズボン。茶髪の前髪をクリップで留めていた。部屋着のまま外出してきたようなその格好は、実際に目にする前から想像がついていた。

「ただで済むと思ってんの?」

 ただ予想外だったのは、そのヤンママが当たり前のように刃物を取り出したことだ。

 それは一昔前に流行ったようなバタフライナイフだった。嫁は片手でカチャカチャとそいつを振り回し、刃を露出させた。器用と言うより手慣れているのだろう。人を傷つける以外に使い道のないそのナイフの切っ先が、真っすぐにおれに向いていた。

 おれは片足を一歩前にし、左腕を突き出す。嫁に向かって身体を斜めに構え直した。相手に向かう面積を少なくする。半身というやつだ。空手の基本的な構えだった。

「ナイフは手の延長線上として考えればいい。あとは普通の突きをいなすように」

 むかし習っていた空手の師範は、よく稽古の合間に若い時分の喧嘩話を披露した。実際にそれが役に立つ日が来るとは思わなかった。しかしイメージ上と実戦のそれはどうしたって違う。背中を冷や汗が流れる。ジンジンと腰骨が痛むが、そんなことを気にしている場合ではない。

「……ただ、喧嘩慣れした連中はな、普通にナイフをこっちに向けたりしないんだな。こう、後ろ手に、ナイフを隠すんだよ。あれは、どっから来るのか分かんなくてな。いくら場数踏んでも怖いぞ」

 師範はそうも言っていた。いま、それも思い出させられた。ヤンママが、目の前に構えていたナイフを後ろ手にして身体で隠したのだ。相当な手練れなのか。緊張がいや増す。

 こちらの動揺を見透かしたようにニヤリ、と笑ってから、ヤンママは吠えた。

「女子舐めんなよォォォ!」

 シュバッ! シュバッ!

 閃いた刃が空を裂く音が聞こえる。斜めに振りかぶってきた第一撃、身を引くようにしてかろうじて避けた。続く第二撃は下から振り上げるように。構えた左手ではいなしきれず、着ているコートの袖が裂ける。

 ヤンママは不気味な笑顔を顔に張り付かせ、円を描くようなステップでおれを翻弄する。狩猟の快感に浸る、飢えたハンターの目がおれを捉えていた。

「行けェェ、殺しちまえ! いいぞ、カヨォォォ!」

 どうやら嫁の名前はカヨという。ドロップキックのダメージから回復したらしい男が叫ぶ。相変わらず嫁は全く隙を見せない。本当に怖いのは女だ。前から知っていたが、いま改めて実感する。

「おれら家族の団結力、見せてやれェェェ!」

 なんだそのエールは。情けない若旦那だ。死ね。

 しかしこのままでは死ぬのはおれだった。気がつけばジリジリと壁際に追いつめられている。既に何カ所かは嫁のナイフが掠め、出血もしていた。

 

「おい、そこまでだ」

「ママ〜」

 Eの声と子供の声が、ほぼ同時に響いた。

「ティアラッ!」

「あ、畜生!」

 ヤンママと若旦那が続けて叫ぶ。

 Eが子供を抱き抱えていた。子供本人はあまり状況を分かってはいないようだったが、これはつまり人質だった。

「とにかくそのナイフをしまえ。……こんなこと、したくはないんだよ」

 押し殺したような声でEが言う。

「なんて卑怯なことすんの! マジで信じらんない! ティアラ離せよ、変態野郎!」

「てめえ、マジで殺す。マジで殺す」

 興奮したヤンキー夫婦は思い思いに叫び出す。

「……五月蠅え。まずはいまこの状況、それから最初の原因、ここに至る過程。少しは落ち着いて振り返れ。そして、とにかくそのナイフをしまえ」

 Eは淡々と言い聞かすが、夫婦は聞く耳を持たずにひたすら騒ぎ立てる。「変態ロリコン無差別殺人鬼外道いますぐ子供を離してそして死ね」

「五月蠅いって、言ってるだろうッ……」

 普段は至って温厚なEだった。長い付き合いだが、声を荒げたところなど見たことはない。いまだってそうだ。しかしその静かなトーンの奥底に、いままで感じたことのないような怒りが窺えて、おれはたまらない不安を覚えた。子供を抱えるEの腕が細かく震えている。こめかみの辺りの血管が青く浮き上がって見える。

「おい……」

 おれがEに呼びかけたときと、ほぼ同時だった。

 野次馬たちの人垣を押しのけて、そいつが現れたのは。

  

「子供を離せ、怪人め!」

 野太く通るその声の主は、全身を革のスーツに包んでいた。ツーリングの途中のバイカーだろうと思ったが、よく確認すると違った。バッタを象ったような意匠のフルフェイスのヘルメット。正義の味方のコスプレか。なにかイベントでもあるのだろうか。

「ライダーだ!」

「ライダーが来てくれた!」

 野次馬たちが興奮して叫ぶ。子供のみならず、いい歳をした大人までもが真剣に。まるで本当にその正義の味方を待ち望んでいたかのように。その異常さに呆然としながら「……なんだ、あんた」とおれはそのコスプレ男に問いかける。これ以上ややこしいことはごめんだった。

「おのれ、怪人の手下か! トゥッ!」

 彼は腹に鮮やかなワンパンで、おれの問いに答えてくれた。

 メキッという音を聞いた。アバラの二、三本は確実にやられていた。

 激しい衝撃と痛み。その場に崩れ落ちるしかなかった。さっきの若旦那のパンチなどとは、まったく質が違っていた。圧倒的な暴力だった。的確に、冷徹に、おれを破壊する力の行使だった。もう立ち上がれそうにはない。それは人間の力とは思えなかった。本物のライダーパンチだった。

「……てめぇ、やりやがったな」

 相変わらず押し殺したような声で、Eが言った。ゆっくりと子供を下ろし、ライダーに向き直る。

「いいだろう。勝負してやる。表に出ろ」

 床に倒れ伏し、ただ朦朧としながら、そのやり取りを見ていた。

 ……いつしかEの頭部は、デフォルメされた爬虫類のようなものにすげ変わっていた。

 

 Eであるはずのイグアナ男とライダーは、道の駅のイベントスペースで、壮絶な格闘戦を繰り広げた。おれは血反吐を吐きながら這って外に出て、野次馬たちの足の間からそれを見守ることしか出来なかった。

「いまだ、ライダー! とどめだ!」

 いまや熱狂の渦にいる観客の声援。いつしか戦況は完全にライダー優勢になっていた。イグアナ男はすっかり疲弊し、ふらついている。

「ライダァァァ、キィィィック!」

 充分なタメをつくり、ライダーはジャンプした。おれのドロップキックなど比にならなかった。まさしく宙に舞いがったという表現が適切だった。重力の存在は忘れられていた。

 ライダーは天高くでクルリとキリモミ一回転、そこから一直線に落下しながらのキックを放つ。

 それがイグアナ男を直撃した。

「……逃げろォォ」

 イグアナ男は、いや、Eは、最後におれに向かってそう叫んだ。そして爆散した。

 降り注ぐEの肉片と血潮を浴びながら、群衆は恍惚の表情を浮かべ、勝利のポーズを決めているライダーの活躍を称えて止まなかった。

 西武ライオンズの青い野球帽を血糊で真っ赤に染めた少年が「パパ、ライダー凄いね」と父親に目を輝かせて言う。「正義の味方だからな」父親は出店で買ったたこ焼きを頬張りながら答える。たこ焼きには紅生姜が過剰にかかっている。紅生姜にしては赤過ぎる。

「ありがとうッ、ライダー。ほら、ティアラもお礼!」「ありがと〜」「マジ最高。ハンパねえよ」

 あのヤンママと子供と若旦那の一家がライダーに駆け寄る。

「悪は滅びるのみッ……」

 ライダーは正義の決め台詞と共にいまだ勝利のポーズを続けていた。

 

「……早く、こっちへ」

 うどん屋の店主が、目立たぬようにおれを引きずっていった。店のカウンターの陰に隠れるように匿われる。いまだぼう然としているおれに、店主は独白めいた口調で言う。

「こうなっては、もうどうしようもないんです……」

 どういう事態だか、全く把握出来なかった。

「……お友達は、本当に残念でした」

 さっき爆散したイグアナ男は、やはりEということらしい。「逃げて下さい」続けて店主はEと同じことをおれに言った。……どうして逃げなければいけないのだろう。いったい誰から?

「まだ仲間がいたはずだ、探せ」

 おれを探す市民の声が聞こえた。フードコートのなかに何人かが群をなしてなだれ込む。戦国時代の落ち武者狩りは、こういう感じだったのかもしれない。見つかればおれも殺されるのだろう。逃げなければならない。

「ここは、わたしが」

「いや、でも……」

「いいからッ」

「いたぞ、あそこだ!」

「……早くッ!」

 なんとか店の裏口から外へ出ようとするおれの後ろで、鍋が倒れ、食器が割れる音が鳴り響いた。続けて得体の知れない唸り声に、怒号。

「こっちだ、ライダー。あのうどん屋も怪人だ」

「アルマジロ男よ!」

「殺して!」

「トゥッ!」

 

 どうやら、Eは悪の怪人イグアナ男であったらしい。

 でもそれがどうした。いつからそうだったのかは知らないが、Eはおれの幼なじみで、大切な親友だった。死の直前も、Eはおれに「逃げろ」と言い残したのだ。

 あのうどん屋だって、アルマジロ男であろうが、自分の仕事を全うしていた。とても旨いうどんを食べさせていた。そしておれを庇って、きっともう殺されただろう。

 おれにとって掛け替えのないものをライダーが破壊し、人々はそれを承認した。

 正義とはなんだ。そして正義の味方とは、なんなのだ。

 満身創痍になりながら、おれが辛くも逃げおおせたのは、わき上がる疑問、そしてその理不尽さに対する怒り、それに身を任せたからだ。

 ……おれの背中からは、肉を食い破って羽が生えてきた。

 コウモリのようなその漆黒の羽で、おれは宙を飛んで逃げた。

 日の光を避け、闇に紛れ、夜の森に隠れる。僅かな月の光だけが、いまのおれの慰めになっている。

  逃げ続けるのは、いつの日にかライダーを倒し、奴らにその正義の意味を問うてやるためだ。

 そのためならば、悪と蔑まれようがショッカーにこの身を売ろうが、なににだって耐えてみせる。

 そうなのだ。おれは自ら望んで改造手術を受けて怪人になったのではない。ただその因子に目覚めさせられた。あの二人だって、そうだったに違いない。

 それは、悪か?

 ……もう、Eとあのうどんを食うことは出来ない。

 

 いま一度問いかけよう。

 正義とはなんだ?

 

 

 劇終。