もうこはん日記

いまだ青い尻を晒せ

恋文地獄篇1~春~

『拝啓
愛しい恋人よ

お元気ですか?
僕は相変わらず。
頭の中に羽虫を飼っているような毎日です。耳障りな雑音が、いつまでも鳴り止まない。

でも、僕はやっと気づいたんだ。僕を混乱させるこのノイズこそが、実は本当に聞きたかったものだったんだと。
何にも耳を傾ける必要はない。目を開いて何かを見ようとする必要もなかったんだ。
ただ、君を想えばいい。暗闇のなか、君の姿はいつでも見えていて、その声も聞こえている。

君がいなくなってから、かなりの年月が過ぎた。君は僕のことなど忘れてしまったのかもしれない。でも、君の姿はまるで繰り返し見た映画の1シーンのように、いまでも鮮明だ。
真夏の日差しの下、不自然な位に白い肌。少し鼻にかかった声は、いつも強がりを言っているように聞こえる。
そんな君は、いまでも変わらずにいるのだろうか。

十八、十九、二十、二十一……数えるのも面倒な歳月だけを積み重ねた。万能感は浪費される。優しさや希望なんてものは、手の平で転がしているうちに磨耗してしまう。この七年間はそれなりに楽しくもあったのかもしれない。だけど、いまならばハッキリと言える。全ては無駄だったんだ。
本当は、とっくに分かっていたんだ。
さっさと選ぶべきだったんだ。無邪気に選べるうちに。

愛しい恋人よ、
かつての恋人よ、
すべては君のせいです。
すべてを君のせいにして、僕は存えている。

愛しい恋人よ、
だから、僕は君を殺そう。

「お前のせいだ」と叫びながら君を刺し殺す。そんな陳腐なラストシーンこそが、この散漫な映画に相応しい。
生暖かい血が、モノクロの画面に色調を取り戻す。そのとき、君はどんな顔をしているのだろう。
ずっと思い描いていたのは、そんな光景だったんだ。
出来やしない、出来るわけがない。それも分かっていた。
けれども、僕は死ぬのだ。
望んでいるのは、この物語の終わりか、もしくは永遠だ。

だから、この手紙は遺書であり、完成することのない映画のエピローグなんだ。』



 大学生活も五年目に突入。腑抜けた春をうららかに過ごす私のもとに、この手紙は届いた。
 郵便受けにたまった公共料金の請求書やデリヘルのチラシに混じった、地味な茶封筒。宛先も送り主の住所も何も書かれていない。開封してみると、青い便箋に細かい字で一方的な心情吐露である。筆圧の強い文字を見ていると、万年筆を持つ男のじっとりと汗ばんだ手が浮かぶようだ。飲んでいた乳酸菌飲料が急に生ぬるく、甘ったるいものに感じて、私はグラスを置いた。

 何の間違いでこのような手紙が私に届いたのだろう。当然身に覚えがない。私に男色趣味はないのだ。仮にあったとしても、こんなナメクジのような男など相手にするものか。
 では、どんな男ならいいのだろうか。……『愛なんていらねぇよ、夏』の渡部篤郎なんかいいかもしれない。
 一時期、私の生活は篤朗に支配されていた。彼の特徴的な発声方法がツボにはまり、その真似をよくしたものだ。最初は笑っていた友人達がウンザリとした表情をするようになっても「お兄ちゃんがぁ、お前のぅ、光にぃなってぇ~」と私は渡部篤朗であり続けた。『昔話を子供に読み聞かせる篤朗』といったオリジナルのネタまで開発した。友人達は、もはや私を無視した。
 それは、恋だったのかもしれない。執拗な模倣は篤郎に対する憧れ、発展して同一化の願望の表れではなかったのか。私は篤朗になりたかった。篤朗と溶け合いたかった。つまり、恋ではないか。そうだったのか。耳元で、あの空気が漏れるような独特の声が「第二幕、オープン・ザ・カーテン…」と囁いたら、思わず私の性の第二幕、肛門の粘膜もオープンしてしまうのか。
 ……やっぱり、嫌だ。男なんていらねぇよ、春。である。いまのところは、まだちょっとね。

 話を戻そう。手紙だ。
 まったく、独りよがりとしか言いようのない手紙だ。相手のことなど全く考えていない。一方的に感情を押し付けているだけだ。返事など期待していないのだろう。便箋に感情をそのまま吐き出し、封筒に入れ、切手を貼り、投函する。その行為だけで満足しているのだ。これは、もはや一種のテロリズムである。そもそも、手紙というものは本質的にこのような問題を孕んでいる。実のところ、送り手と受け手との曖昧な了解に成り立つ、一方通行のコミュニケーションではないか。そして、それは手紙に限らない。言語による意思伝達行為全般に言えることかもしれない。しかし、人は言葉を捨てることは出来ない。ああ、なんという悲劇だ。人と人が本当に理解し合うことは困難を極める。
 もし、言語に頼らず個人の描くイメージそのものを共有出来るとしたら。……それは溶け合う世界。僕は君で私はあなた彼女は俺の中に彼と共に貴殿とおわす。境界線のない意識、私と私の世代の精神根幹を犯しているエヴァンゲリヲン的楽園。つまり、チョコさんと蒼井そらちゃんと夏目ナナちゃんと鷹さんと四六時中交わっている状態、あ、麻美ゆまちゃんも忘れずに。更に言い換えれば、まさみちゃんの膝枕で安らぎ、一方でエリカ様は罵りつつもその御身足で私の×××を○○○して、その横では惣流・アスカ・ラングレーが自らの@@@をナニして「あんたバカぁ?」、綾波は、綾波綾波ぃぃ! 気持ち良過ぎてボク逝っちゃうよぅ! ……何を言っているのだ、私は。
 再び話を戻そう。
 いや、戻さない。いつまでもこんな手紙に関わって、精神汚染を進める必要はない。

 私は気分治しにコンビニへ。発泡酒を買い求め、公園のベンチに座った。抜けるような青に一筋の白が走る。飛行機雲が飛行機のウンチだとしたら、随分と綺麗なウンチをするものだ。白い糞を垂れ流し、どの空まで飛んで行くのだろう。良い天気だ。もう外も大分暖かい。穏やかで、それでいて妙に心がざわめく季節。
 春の日の陽気に、私は自分が求めているものを知る。
 ロマンス。
 それは若者にとって根源的な願望。根源とは下半身に換言。退屈を染め潰す、甘く燃えるようなアバンチュール。春の日の女の子、それは陽だまりの詩。人生で価値のあるものなんて、楽しいデート、それと幾つかしかない。そうなんだぜ。



『拝啓
恋人よ

無用な季節は巡り、また春が過ぎようとしています。
君は今年の春をどこで過ごしたのでしょうか。

「言葉は暴力的で不完全だ」
君はそう言ったね。そんなことは僕だって分かっているよ。
「言葉の真実は投げかけた側にしかない。受け止めた言葉に意味を見出すのは勝手」
そんな前提に、いつしか僕は開き直っていたんだ。

傲慢な僕の言葉は、どれだけ相手を傷つけてきたのだろう。優しい人ばかりを選んで傷つけてきた気がするよ。
あるいは誰かを傷つけてみたかっただけなのかもしれない。傷つけ、傷つけられることだけを求めていたような気がする。
自分の涙は生ぬるく頬を伝い、涙が溢れる瞳に自分の存在を確かめる。そのどちらにも僕は安易な快感を覚えた。
そして、結局はそれだけのことだった。

僕は不誠実だ。
あらゆるものを踏みにじり、裏切り、やっと気づいた。
僕の言葉は対象を必要としていない。相手の言葉に意味を見出せない。そのことに気づきながらも、他者を利用しようとする。
傷つけたいのは、そこにいる誰かではない。傷つけられたと思う言葉は、すでに自分の中にある言葉の言い換えでしかない。後悔は自己満足と欺瞞の域を出ることなく、居心地が良い。
僕は加害者になっても、被害者になることはないだろう。

恋人よ、

それでも僕は言葉にしがみついてしまう。言葉にして、誰かに自分を告白する必要があるのだ。どうも人間はそう出来ているみたいだ。
不誠実だったのは、そこに他者を巻き込もうとしたことだ。本当の対象は、ずっと変わらずに不在なのだから。

愛しい恋人よ、
もういない恋人よ、
僕の言葉は、すべて君へ向けたもの。
僕を傷つけるのは君だけ。
君は唯一の加害者で、だけど、僕を殺してはくれない。
傷つけたいのは君だけ。
でも、君は永らくの不在だ。
僕のすべては徒労に終わる。

永遠の恋人よ、 
「存えるべきか死ぬべきか」その問いは、君の存在と同じ意味じゃないか。
消えてくれ、なかったことにしてくれ。
いや、いかないでくれ。消えないでくれ。

せめて、僕にくれよ、
陳腐な幕引きを、
あるいは、もっと残酷なプロローグを』



 どうせ部屋に引きこもってばかりいるのだろう。だから思考が前に進まず、挙句の果てにこんな客観性を欠いた手紙を書いてしまう。「不在」に永遠を見出すのはよく分かる。神もイデアも不在ゆえの永遠だ。分かりきったことではないか。
 君にアドバイスをしよう。新しい恋をしたまえ、世界はピンク色に輝くだろう。昔、祖母に言われたのだ。もちろん、どんな恋もそれが恋である以上は終わる。君の求める永遠はそこにはないかもしれない。だが、それは仕方のないことだ。
 ところで、君は今年、花見には行ったか? 行ってないだろうな。友達、いなそうだもんな。私は行った。楽しかったよ。そう、例えるなら、恋のピンクは桜だ。もう桜は散ってしまった。公園に行けば、散った桜が踏み潰され、汚らしく地面にこびりついているだろう。それは終わった恋だ。散るのは分かっていたことだ。寂しい気分にもなるだろうが、踏み潰せ。来年になればまた咲くのだ。そして、また散る。やがては「愛」に辿り着くかもしれない。それがどんなものか、私は知らないが。とにかく、私の提唱する「永遠」とは不変ではない、流転の永遠だ。明滅するピンクに、それを見出すのだ。
 我々は有限な存在で、その生活はあまりに消費的だ。そんな中で「永遠」を見出そうとするのなら、乱暴に開き直るしかない。だってそうだろう? 君は世界から、日常から、完全に逃げ切れるのか。出来やしない。思いつめて死を選ぶのは勝手だよ。惨めな部屋の隅っこで、さっさと首をくくればよろしい。
 
 またもや届いた手紙。私は腹立ちまぎれに一方的に長々とした説教をしてやった。多少の満足感は覚えたが、やはり虚しい。鼻クソをほじり、その指を便箋で拭う。醜い自意識の発露もこの程度には役に立つ。良かったな、ざまぁみろ。

『春のアバンチュール作戦』は失敗したのだ。合コンに何度か行ったのだが、気がつけば泥酔、隣のテーブルの無関係のオッサンに『あしたのジョー』について熱弁をふるっていた。または、女の子が下ネタに引くのに逆上して更に暴走、いさめる友人に腹を立て、テーブルを蹴り上げ、場の空気は中ジョッキと一緒に砕けた。翌日からは二日酔いよりも過酷な自己嫌悪に陥る。しかし、すぐにそれにも飽きて、タラタラ酒を飲んだり後輩を小突き回したりとバカバカしい毎日。夜中に寂しさに悶える(主に下半身が)こともあったが。

 そうこうしている間に、彼女が帰ってきた。
 実は、私にはレッキとした彼女がいたのだ。中国に半年間の短期留学に行っており、久しぶりの再会だ。少し痩せたようだが、元気そうであった。彼女が旅立つ前には、まさしく倦怠期といった感じで、喧嘩が絶えなかった。だが、半年も会わないでいるとお互い新鮮に感じるのか、私のエスプリの利いたジョークにも彼女はよく笑う。出発前の彼女ならば、滑稽な程に力一杯、眉根を寄せたものだが。いまは、ああ、たとえ私が便意の周期性について得々と語ろうとも、彼女はまるで出会った頃のように優しく微笑む。私もそんな彼女が愛しい。ずっと、このままでいて欲しい。アバンチュールの誘惑に負けず、貞操を守ってよかった。愛は勝つ。私は彼女一筋。とりあえず。

 親しい仲間内で、彼女の帰国祝いも兼ねた花見が開かれた。例年の如く荒れ果てた席であったが、私は泥酔しないうちにと彼女を連れだし、川沿いの桜並木を並んで歩いた。思えば、彼女と出会ったのも桜の下、こんな花見の席であった。
「いつか君がいなくなって、一人で桜を見たら、君を思い出すんだろうね」
 シチュエーションに乗せられたような陳腐な台詞をつい吐いてしまった私に、彼女はこう返した。
「そんなことないよ。だって、ずっと一緒にいるんだから」
 言ってしまった後で気恥ずかしくなったのだろうか。彼女は私のほうを見ず、川沿い並んだ桜に目を向ける。春の風に花びらが舞い散る。ああ、BGMは間違いなくケツメイシ。ありふれたドラマをなぞるかのようなシーン。しかし、私はこの瞬間を忘れないだろう。到達不可能な永遠を約束してしまう、そんな瞬間は愛おしい。それを噛みしめていればいい。少し力を入れると、すぐに握り返してくる彼女の手はとても柔らかかった。
 友人たちの輪の中に戻ると、裸で踊り狂う者、入社式からそのまま着てきたスーツを自らの吐瀉物で汚し、しかし、妙に安らかな表情で眠る者。阿鼻叫喚である。
「あんまり飲み過ぎないでね」と残し、彼女の姿はいつの間にか消え、やがて私も泥酔連の輪に連なる。
「あいつのおっぱいさ、結構でかいんだぜ。思うんだけどさ、ロマンスってのは胸の谷間に宿るんだよ。で、永遠は下の方に……」
 これでも、私は惚気ていた。珍しいことだ。新社会人を捕まえ「お前も、もう社会人だ。社会人は学生に奢る義務がある」と花見の後の三次会で酒をたかる。財布はすでにカラ。潔い気分だ。今日は朝まで飲み明かし、明日はまた彼女に会いに行こう。
 ほら、世界は実にピンクだ。



『拝啓
愛しい恋人よ

連日のように雨が降っています。
雨の音が、僕の部屋を包みます。
シトシトと振る雨は緩やかに、嵐のような雨は激しく、どちらも僕を蝕んで、君の記憶から逃れられない。

あの日は、朝から土砂降りの雨が降っていた。
おかげで、君とあの男には決定的なシチュエーションが揃った。君と僕との関係はまだ続いたけれど、結局は、あの雨の夜が決定的だった。まさか、自分の目でそれを見るとは思わなかったよ。
そのときから、夜中の雨が苦手だ。
「いかないでくれ」って自分の声で目が覚めたりするんだよ。驚いて起きたら、雨がザァザァ降ってて。自分でも笑えるよ。
別に、いまさら責め立てる気はないんだ。仕方のないことじゃないか、いろいろと。あれから僕だって、似たようなことをしたよ。当り散らすようにさ。ああ、ほんと、どうしようもないな。自分でも自分がどうしようもない。

あの瞬間も、僕がこうなったのも、きっと必然なんだと思う。言わば運命とかさ。
もう、僕は運命に出会ってしまったんだ。いつまでも消え続ける君と、それに支配される僕がいて、それが運命だ。いまさら抗うことに意味はないだろう。

恋人よ、
あの日から、君とすれ違ってから、僕は世界とすれ違い続けているみたいだ。

雨の夜に抱かれる恋人よ、
どこかの暖かい屋根の下に、君はいるのか。
それとも、打ちつけるような雨が君を濡らすのか。
愛しい亡霊よ、
あるいは、その体を雨は通り抜けるのか。
僕には分からない。
とにかく、ずっと雨が降っているんだ。』



 連日連夜、雨が降り続いている。
 煙草を買いに行き、帰りに郵便受けを覗くと、またもや手紙が届いていた。いい加減にしろ。いまの私には、こんな粘着野郎の腐臭を放つ手紙に関わっている暇はないのだ。

 彼女が怒っている。
 しばらく彼女の家に入り浸っていたのだが、まるで生ゴミを出すように追い出されてしまった。まぁ、生ゴミを泣きながら捨てる女はそうはいないだろうが。久しぶりに戻った自分の部屋は臭かった。梅雨の湿気で生ゴミが腐っていた。ああ、まるで私のようではないか、などと呟いている場合ではない。
 やっと倦怠期を脱したと思ったのに。考えてみると、もう何度こんな喧嘩を繰り返してきたのだろうか。バカバカしい茶番だと言えば、それまでだ。だが、やはり早急に手を打つべきであろう。いま、彼女を失いたくはない。

 さて、今回彼女が怒った原因はなんだ。考えられるのは一つ、いや二つ三つ四つ五つ……キリがない。
 あれか、食事中に連続で放屁をしたことか。四回目からは努力を要したのだが。回数に比例して、彼女はどんどん不機嫌になっていった。最初は笑っていたのに。音階も変えてみたのに。私の括約筋が大いに活躍したのだ。男とは、つまらぬことに命を賭けるものなのです。
 それとも、食費にと渡された金で『西岸良平短編集』全五巻を買ったことか。君も読んでた癖に! 君が朝からバイトに行っちゃうのが悪いんだろ。昼間、一人ですることないんだもん。
 あとは……夜中にジェットリーの映画を見て、興奮のあまり無影脚をヒットさせてしまったことか。寸止めのつもりだったんだ。勢いがつき過ぎたんだ。でも、狭い部屋にずっといるもんだから、たまには運動したくなるのも分かるだろう。いや、もちろん私が悪い。土下座して、ちゃんと風呂掃除までしたじゃないか。それで許してくれたんじゃなかったのか。
 あ、分かった。君の本を読み止しで床に散らかしたことか。本に開き癖がつくとか、ちょっと細かいとこあるよな。本なんて読むためにあるんだから、いいじゃないか。星新一の本がやたらあって、いちいち本棚の元の並び順なんて覚えてらんないよ。
 面倒だ。しかし、仕方がない。誰かと共に生活するのは、こうした細かい相違を受け入れ、妥協点を見つけることの積み重ねだ。今後気をつけよう。お互い歩み寄る努力が大切だ。お、偉いな、私。

 怒涛の勢いでメールを打つ親指。まるで自動書記のようだ。ちょっと凄くないか、私ってば。
 女性に謝るのは得意なのだ。慣れている。洒落た比喩表現を交えながら、曖昧に、しかし、力強く、ときには絶望の影をチラつかせながらも、最終的には二人の関係の肯定へと向かう文脈。その行間に、彼女は私なりの誠意だとか愛情だとか、とにかくそんなものを読み取るであろう。私の伝えようとしたものと彼女が読み取るものは、きっと違っているだろう。しかし、それは仕方のないことだ。それでいいのだ。そうするしかないのだ。
 反省とは、素潜りで海の底に宝物を見つけにゆくようなものだ。苦労して潜っても、宝物はないかもしれない。あったとしても、それを引き上げるのは困難を極める。息も続かない。つまり、反省することに実際的な意味はない。私はそう考えている。しかし、私は反省しているのだ。潜ったという行為自体には意味がある、と思う。肝心なのは、それを相手に伝えることだ。

 メールを打ち終え、出来上がった文章を推敲していると、インターホンが鳴った。ドアを開けると、傘を差した彼女がそこにいた。
「独りで部屋にいたら、寂しくてたまらなくて。どうしたらいいのか、自分でも分からなくて……」「謝ろうと思ってた。俺が悪いんだよ」
 彼女が何に怒っていたのか、あるいは私のどこに嫌気がさしたのか、私は彼女に何を謝ろうとしたのか、伝えようとしたのか、もはや分からない。問題は保留だ。彼女はここにいる。外は雨が降り続いているが、部屋のなかにいれば濡れない。この瞬間は、これでよいはずだ。部屋はまだ微かに生ゴミ臭く、小バエも飛んでいる。だけど、まぁ、いいじゃないか。いま彼女は私の腕の中にいるのだ。