もうこはん日記

いまだ青い尻を晒せ

恋文地獄篇3~秋~

『拝啓
夏に出会った恋人よ

秋は少し寒い夏、冬は寒すぎる夏、春は早い夏。
夏が、いつまでも終わらない。
 
終わらせることが出来ない僕は、きっと生きているのか死んでいるか分からない顔をしているのでしょう。』



 彼女が来ることもなくなって、私の部屋は散らかり、荒んだ雰囲気が漂いだした。何もする気がなくなった。では、以前は何かをしていたのか、と言われると答えに困るが。二日酔いのような無気力状態が続く。

 酒や麻薬には耐性が出来てゆく。私が彼女に慣れ切ってしまうことに抗うように、彼女は感情を爆発させた。彼女は私という舞台の上で、エキセントリックな役を演じていたのではないか。本当の彼女は、優しくて思いやりがあり、強い人間のはずだ。私は演出家としても三流だった。
 半ば無意識、しかし、どこかで意図的に、私は彼女の不安の、様々なトラブルの種となるような言動を撒き散らす。彼女はそれに水をやり、肥料を与え、花が咲くのを待つ。それがお互いの性分なのかもしれない。関係はやはり、結びついた瞬間に破綻へと向かっていたのだ。そして、私はこのような自分を分かっていたのだ。分かっていながら彼女に関わり、その結果はこうだ。
 私は反省している。だが、どうすれば良かったのだろうか。私はいつまでも反省と開き直りを繰り返し、進歩の予感もない。

 秋も深まり、肌寒さを感じ始めた頃、久しぶりに彼女からのメールが来た。
「もう会うのを止そう。きっと、その方がお互いのためにいいから」
 私は何も返事をしなかった。
 散らかりきっているくせに、妙にガランとした部屋に「ずっと一緒にいよう」という、いつかの彼女の言葉が浮かび、すぐ消える。「まぁ、そうだろうよ」と私は独り呟いてみる。



『拝啓
愛しい恋人よ

君を自分に都合のいい偶像に仕立て上げようというんじゃない。
溶け合うような永遠を夢想していたのに、君が見せてくれたのは、あまりにも流動的な他者性だ。
君がくれた言葉を、いちいち覚えているよ。

「人と人が本当に理解し合うことはない」
そう思うよ。寂しいけれど、まったくその通りだ。だけど「それでも理解しようとしなければならない」なんて続けるんだから、ああ、なんてややこしい話だろう。
「君も前に進まなきゃ」
都合のいい言葉だ。だけどその通りだ。でも、前ってどっちの方角だ。どこに進んでも、その先には君がいるんだ。前も後ろも同じじゃないか。

君は確かに自分の言葉通りだった。
かつて僕に向けていた眼差しはあの男に、僕には代わりに冷えた一瞥を。
「サヨナラだけが人生だ」というけれど、僕は人生を違うものに変換してしまった。
君の「サヨナラ」は、あまりにも永遠になってしまったんだよ。

薄情な恋人よ、
君が僕を必要としなくなった瞬間から、僕は君が必要だ。
不実な恋人よ、
あの一瞥を、また何回でも僕にくれよ。
ああ、追いつけない君を抱きしめたい。
ああ、もういない君を殺してしまいたい。』



「どうでもいい」と考え始めると、本当にどこまでも「どうでもいい」。
 僅かな買い出しのときにしか、部屋を出ることはなくなった。歩いて数十秒の煙草の自販機へ行くのに、(近い将来の己の姿を見て陰鬱な気分に陥るような、無気力、停滞のあからさまな陰気者達、または、普段から安い食材を閉店直前にタダのような値段で買い溜めするような、がめつさを前面に押し出した低所得者層ばかりが集う「安かろう悪かろう、偽装なんてする必要もない程に文句なく低品質です」という)近所のスーパーに行くのに、わざわざ風呂に入って髭を剃り、部屋着から着替える必要があるのか。それに、このスーパーは、バイトも店員もみんな鬱々としてるんだぜ。そして、生鮮食品の棚の鏡面に映る、鮮度の悪いサバといい勝負の淀んだ目、髭面で髪ボサボサで眼鏡の私。そう、私もこのスーパーの雰囲気作りに一役買っている。威張っていいはずだ。だから、ちょっとその悪い油で滲んだコロッケを安くしてくれないものか。
 もちろん、大学になど行っていない。行けるものか。希望に溢れ、将来的な成功、あるいは性行への欲望を言動に滲ませる、バイタリティ豊かな若者の群れに混じることは、今の私には耐えがたい苦痛だ。
 一日中部屋にいると、思いのほか玄関のチャイムが鳴ることが多いのに気づく。しかし、どうせ新聞の勧誘や公共料金の催促なのだ。私は息を潜めてそれを無視する。

 何もしない、というのは意外に出来ないものだ。人間、何かしらのことはしないではいられないらしい。
 私はひたすらにインターネットをしていた。一通り興味のあるサイトを見てしまうと、あとはもう中毒のようにさして感心のない事柄について検索した。例えば、ビートニク文学の詩人についてあらかたのサイトを巡り、興味が一段落すると、そこからウィキペディアでモダンジャズについて調べ始め、そのジャンルには疎いのだが、それでも続け、いつの間にか元祖SDガンダムのページに飛んでおり、ああ、これは懐かしい、持ってたし、とウットリし、当時の開発者のブログから飛んで、今度は納豆の歴史について検索している。気づくとパソコンの前で眠っており、目が覚めると、すぐにマウスを握った。昼夜も問わず、断続的に情報の波に脳を浸し続けると、何がなんだか分からなくなる。それは決して楽しくはなかったが、止められないのだ。
 もはや、苦行だ。

 情報では腹は膨れず、空腹を覚える。暫く買出しにも行かなかったので、マウス片手に食べられる手軽なものがない。台所にパスタがあったはず、と思うが体が動かない。さぁ、台所に行こう、そう思っているうちに一日の大半が過ぎている。これはいかん、呟いた頃には一日は終わってしまう。とうとう一日中パスタを茹でることを考えながら、何も食べなかった。そうだ、明日は乾麺の精製過程を調べてみようと思い、布団も敷かずに畳に倒れこむ。
 苦行である。

 料金未払いのため、ついにネットが止まる。復旧も面倒だし、やっと開放されたという思いも湧く。だからそれはそのままにして、埃の被ったゲーム機を引っ張り出した。
 ぶっ続けでやるので、大抵のRPGなどは三日もあればクリアしてしまう。近所のゲームショップでかなりの本数の中古ソフトを買い漁った。店内には平日の昼間だというのに、いい年をした男がいつも二、三人はいて、私と同じような臭気を発していた。そのうち、ゲームを買う金もなくなったので、ゲーム本体を売り払った。これでゲームも出来なくなった。
 これは、仏教における「空」の思想に通ずるのではないか。まさしく苦行でございまする。

 ネットもゲームも出来なくなると、手っ取り早く依存できるものはなくなった。
 いよいよ苦行ですね。

 部屋の隅にあった手紙の山を前に、それらを読み始めた。他にすることが見当たらなかった。相変わらず、手紙は届いていた。少し前までは、手紙が届く頻度自体も疎らで、いい加減に読む気も失せていたのだが、最近では毎日のように送られてくる。ときには郵便受けを見るまでもなく、ドアの隙間に挟まれていたりする。何者の仕業か。まぁ、どうでもいい。
 手紙の内容には、以前と変わらない印象を受ける。独りよがりで、どうしようもないものだ。しかし、何故か一枚一枚、律儀に読んでしまう。私もどうしようもない状況だ。妙にシンクロしてしまうのか、侵食されていくように丹念に読んでしまう。所詮、甘ったれた幻想など似たようなもので、私が女性に抱くそれとさして変わりはないが、如何せん青臭さ過ぎる。さらには「青臭さ」にしがみつこうとしている様子すら透けて見える。見苦しい。まぁ、しかし、それも理解は出来る。

 例え話をする。
 鼻持ちのならないバーテンのいるバーがある。バーの内装は彼好みのインテリアで調和され、彼自身にはとても居心地の良い空間なのだろう。
 シェーカーの中、彼のチョイスしたリキュールやハードリカーが揺すられ、混ぜ合わされる。それがゆっくりとグラスに注がれる。バーテンは「さぁ、お飲み下さい。自信作です」と言わんばかりの顔で、得意そうにじっとこちらを伺う。だが、そのカクテルは自己満足な風味が鼻につき、その癖、味のベースはありきたりなものと相場が決まっている。飲めたものではない。それでも飲む客がいるのは、たまたまそれが客の悪趣味な性癖に合ったのか、気を遣っているのか、それとも既に酔っているからだ。
 孤独と自己完結の妄想のシェーカーの中にあったリキュールは、例えば「夢」とか「愛」とか「純情」で、それが注がれるグラスが「手紙」に言い換えられる。手紙は個人の感情発露の形態として非常に分かりやすい。極端に言えば、そこにコミュニケーションの本質的な不細工さが収縮されている。
 そして、世間にはこのようなカクテルを出すバーが溢れている。問題は、それが手紙という場面だけにとどまらないことだ。どいつもこいつも、みんなバーテン気取りだ。
 私はそのグラスに少し鼻を近づけ、ぞんざいな手つきでグラスを脇にやり、バーテンに言ってやるだろう。
「こんなものは飲めたものではない。何故なら、俺のカクテルの方がずっと美味いに決まっているからだ。今度うちの店に来てみろよ」

 鼻持ちならない世間の俗物ども。奴らは泣き、笑い、何かに思いを巡らせ、苦悩に煩悶したような顔をして、しかも、その苦悩が自分だけの特別製であるかのように考え、酒など飲んでは他人にそれを押しつける。挙句の果てにそれをブログなんぞに書き綴り、これ見よがしにひけらかす。だが、明日には無責任に笑って生きてゆこうとするのだ。
 もちろん私も、その一人だ。私は私が耐えられない世間を構成する、鼻の曲がりそうな臭気の自意識が肥大した現代の俗物青年の典型だ。私は、私自身が耐えられない。耐えれないまま、しかし、ノウノウと飯を食っている自分がまた、耐えられない。
 どいつもこいつもおれも、みんな死ね。

 ほんま、たまりまへんなぁ。こりゃあ出口が見えん問題でっせ。こないなことばっか考えてたら、あんさん、終いにゃハゲてまうで。仕方ないやんか、人間でっせ。わてら、みんなしょーもない人間やねんから。……ほんま言うと、自分、関西弁の男がよう好かんねん。でもな、いまワザとそれ使うて、自虐プレーの真っ最中ですねん。ついでに「相田みつを」なんちゅうんも、反吐が出ますわ、ほんま。さ、気ぃ取り直して、タコ焼きでも食いに行こかいな。あんじょう気張りぃやぁ。

 錯乱状態で手紙の束をまとめて燃やした。手紙がすっかり灰になると、まるで憑き物が堕ちたような気がした。あんなものをまとめて読んだのは、精神衛生的に非常に良くなかった。
 玄関のチャイムが鳴り、いつものように無視していると、今度はドアを激しくノックする。しつこい。仕方なく出てみると、学生と思われる若い男。真上の部屋に住んでいるらしく、ベランダで手紙を燃やした際の煙に対する苦情である。
「すいません」と言おうとして、二番目の「い」がどうしても出て来ず「す、すすっすす、す、すすす……」となってしまう。暫くまともに言葉を発していなかったせいだろうか。学生は怖いものを見たような顔で引き上げていった。
 私はやっと社会復帰の必要性を感じた。