もうこはん日記

いまだ青い尻を晒せ

ずりずれいよう

 モツの部屋に三日目。
 自分は汚い部屋というのに免疫がある方だと思っていたのだが、実はそうでもなかった。部屋のドアを開けるとまず「ぎゃっ」と叫んだ。モツは、これでもちょっとは片付けておいたのだ、と言う。確かに台所の脇にパンパンに詰め込んだゴミ袋が二袋ばかり転がっている。
 しかし、ゴミはまだ部屋のあちらこちらに偏在している。というか床全体に満遍なくゴミが拡がっている。もはやどこからどこまでかゴミか分からない。
 パソコンの前にやたら目がギョロギョロとしたゴミが胡座をかいて「まぁ、くつろげよ」と言う。靴を脱ぎながら部屋に入ったゴミが「これはどこからどこまでがゴミで、それは我々のメタファーなのか」と呟く。つまりそのゴミはモツと俺。ちょっと自虐的になり過ぎた。というかモツに悪い。ごめん。そういうわけでゴミ俺が自省しながらゴミを拾い集めて、最低限の居住空間を整えた。反省的自虐。

 それから二日。
 俺は持ってきたノートパソコン(もともとモツのだが)でネット。主に特に欲しくもないゲームソフトの情報など調べている。
 モツは自前のデスクトップ(何でか本体横倒しの基盤剥き出し)でネット。主に面白動画とかネット対戦のゲームをしている。
 それぞれパソコンに向かい、たまに言葉を交わすが会話にはなっていない。
 例「俺はオシッコしたい気がするよう」「うんことどっこいしょ!」
 もはや慣れた。俺達に議論討論方針決定、これ不要也。ディスコミニケーションの居心地の良さ。ネット社会の悲劇転じてオフビート喜劇。
 この部屋の汚染にも慣れてしまった。寝転がった布団にはよく分からない染み、そこから起き上がればよく分からぬ縮れ毛がシャツに付着。あっは! もはや居心地が良い。人は汚辱のなかに生きる。まさにここは風の谷。その者、漆黒の縮れ毛を身に纏い、丸めティッシュの転がるフローリングに降り立つべし、らあんらんらららんらんらん。しつこいだろうけど更に続けると、前に酒飲みながら考えたのは、モツ型掃除機。裸体のモツが手で塵芥を拾い集めるが、代わりに陰毛がハラハラと落ちていく。それでは掃除にならないので、今度はそのモツ掃除機の後をトリ○マ型掃除機が追う。「ちょっと、やだ、何コレ!」と不平を垂らしながら毛を拾い集める。これは笑けた。こんなところに書いてると知ったら本気で大激怒するだろうけど、ま、いいんだ。どうせ見ないだろう。一応伏字にしたしね。いや、何が言いたかったかと言うと、とにかく部屋汚いよ、と。
 
 モツは夜、「もうやめてぇよぅ」と言いながら、しかし、いそいそとコンビ二の夜勤へと出掛ける。
 その隙にエロ動画でも見ようと(ノートの方は処理遅いし音出ない)デスクトップ前のモツ指定席に移動すると、大量の煙草の吸殻。灰皿に入れようとした形跡すらなく、フローリングにこんもりと。更にだ、何故かニンニクの皮がキーボードの下にわんさか。なんじゃこりゃ。そう言えば、ここだけでなく部屋のいたるところにニンニクが転がっている。
 モツの顔を思い浮かべると、ふと「ニンニク悪魔」という言葉が浮かんだ。本当の悪魔はオドロオドロと硫黄の煙で現れるらしいが、奴はオドロンパとニンニクと共に。ま、何の意味もない妄想。
 そうこうしてる間にニンニク悪魔が帰ってきて、俺のピンクタイムは未遂で終わる。半夜勤らしくて二時過ぎには悪魔召還。下げてきたビニール袋には廃棄になった弁当が二人分。モツは優しい悪魔なのであった。

 昼過ぎに目を覚ます。
 コンビニ廃棄の、彩り具沢山弁当と半熟親子丼のどちらを取るかで少し揉める。賞味期限切れの後、更に一晩放置の半熟卵が不安を生んだのだ。結局、俺が食べたよ。
 貧しい食事を終え、もはや色々どうでもよくなっていたので弁当の容器も片付けず、その辺に転がしておいた漫画を寝転がって読みふける。モツはストⅢのネット対戦を始めたので「とりゃ、そりゃ」とか「KO!」などとゲーム音。
 俺が読んでいたのは吾妻ひでおの『うつうつ日記』。一気に半分ほど読んだらば、ほんとに鬱っぽくなってしまいやがんの。誰か、試してごらんなさい。特に引きこもり気味の人とか、くるよ、多分。

 鬱々とした俺は、その気分にモツを巻き込もうとした。それにはまず会話だ。このように、大抵の場合の意思伝達行為は「悪意」からなるのではないか、というのが長年の俺の持論なんだけどそんなのまぁどうでもいいや。
「君を見ていると、僕は非常に切なくなるよ!」
「(ゲームは止めずに)ん?」
「君はニコ動見てはヘラ笑い、ゲームをしては日が暮れる。それでいいのだろうか、人間とは。君もちょっとは内省、というものをしたらどうかね、僕のように」
「俺は無駄に落ち込んだりはしないもの」
「そこだよ、君は常に情報の波で頭を浸し、麻痺させ、自分を誤魔化しているのさ。そんなに体毛が濃いくせに」
「(Koされたのでコントローラー投げて)脳内からドパドパ汁が出てれば、それが幸せだはぁ」
「ふん、では君からネットを取り上げたらどうなるのかね。例えば、料金未払いでネットが強制解約にでもなったら、君はどうするのだ! 僕のように!」
「テレビ見る」
「(ため息を吐き)なんていう男だ。君のためを思って、僕はこのテレビを破壊しよう」
「そんなことを! そんなことをされたら……困る」
 モツは落ち込み始めた。俺は勝利に酔った。このまま畳み掛けるように密室洗脳的言説でもって、この素直な志願的廃人青年を追い詰め、裸のテロリスト、もはや困難を通り越し不可能が前提の革命への尖兵に仕立てあげてやろうかと思った。しかし、それは何と虚しいことだろうか! 俺はすでに知っている。俺達に明日はないのだ。更に言えば今日すらも失われている。しいて言うなら、明後日がある。曖昧な、不確実な、憂鬱な明後日の俺らなのだ。ぬおおおお!

 沸点間際でグラグラいって、しかし沸き立つこともない。そんな、やり場のない感情。俺は、そのへんに転がる一升瓶を手に取った。撲殺、革命、砕けたガラスの十代、残されたヨイトマケ。アルコホオルの残り香とペシミスティックな思想性に満ちた一升瓶を、俺は、目一杯高く掲げ、そして振り下ろす。どこに? はは、分かっているのサ。対象は見えない。どこにもない。だから、自らの股間にあてがった。
「ずりずれいよう、ずりずれいよう」
 魂の叫びは情けない呟きとなり、俺の口から漏れるようにして出た。腰はそれに合わせてスイングする。
「ずりずれいよう、ずりずれいよう」
「……その一升瓶でオナニーすんの? ちんこ、抜けなくなんないかな」
 飴玉の沢山入ったビンに片手を突っ込んで飴玉をつかむと手が抜けない。欲張らずに握っている手を開かないといつまでもそのまま。そんな話があった。けれど、仮に陰茎をそのように一升瓶の口に突っ込んで抜けなくなったら、思うさまに動かしてみたらいい。きっと刺激的でヌケちゃう、そんで小さくなった陰茎は瓶からショポンと抜ける。ヌケルし抜ける。下ネタだ! だが、これは何らかの訓示を含んでいる話ではないだろうか。まぁ好きなように解釈してくれ。
 けれど、言っておくけど俺はそんなことを表現したくて「ずりずれい」じゃない。もっと広く、深い、魂の、なにか。モツは「今度試すかな」とか言っているので奴の部屋の空き瓶には要注意。その辺の心も含めるようにして、
「ずりずれいよう、ずりずれいよう」
 あ、それ、
「ずりずれいよう、ずりずれいよう」
 もいっちょ、
「ずりずれいよう、ずりずれいよう」
「……まったく、ほんとにズリずらい世の中だぜ」
 モツの言っているのはセンズリこきずらい、ということか。成るほど、そんな解釈もあるな。そう、表現行為とはオナニーに他ならぬ。いまはね、余りにもみんなオナニー、手軽なオナニー、俺もオナニー、そんなんで気づいたら男の棒は水にふにゃけたうまい棒、うまくない。現代の詩人たる俺は自慰行為すら満足に出来ぬ! 
 そうだ、この前、ネットカフェに行って、そん時は非常に陰鬱な気分で、もうこれは個人ブース内でオナニーしてやろうかと思った。だって有料エロサイトとか登録してあるし、ヤレって言ってんでしょ。さて、準備を整えたがなんかやる気が起きない。何となく気になってGOOGLEで「ネットカフェ オナニー」とか検索したら結構なヒット数。みんな疑問に思うことは同じか。げ、店員に注意とかされんのか? すっごいトラウマだろうなぁ。とか調べてたらナイトパックの時間目一杯使ってしまい結局目的遂げられず、朝日に向かって呪詛を吐く俺なにやってんだ。モツ曰く「トイレ行ってペーパー取ってきて、終わったらまたトイレ行って流す」も、モツは突破者なのか! まぁだから、その辺も、
「ずりずれいよう、ずりずれいよう」
「……ずりずれいよう?」
「ずりずれいよう」
「ずりずれいよう!ずりずれいよう!」
 同志が生まれた。二人の言葉はやっと交わり、溶け合ったのだ。

「ずりずれいよう、ずりずれいよう」
「ずりずれいよう、ずりずれいよう」
 俺とモツのコラボ。
 俺の携帯が鳴る。出た。
「ずりずれいよう?」
 電話は切れた。何も言わずに。けれど、構わない。
「ずりずれいよう」
 我々はいつしか夕暮れの牛込柳町に飛び出していた。
「ずりずれいよう、ずりずれいよう」
「ずりずれいよう、ずりずれいよう」
 華やかな女子大生を見ては、
「ずりずれいよう、ずりずれいよう」
 自転車に乗ったヤンママに、
「ずりずれいよう」
 青春謳歌の女子高生、仕事帰りのお父さん、孫の手を引くおばあさん、暗い顔した男子中学生、クロネコヤマトの宅急便、その他もろもろ、
「ずりずれいよう」
 俺にもモツにも、君にもあなたにも、全ての人に、
「ずりずれいよう、ずりずれいよう」

 いつしか日もとっぷりと沈み、しかし我々の行進は続き、そこは見知らぬ街だった。公園の横を通ると、草臥れたワラジのような感じの男がベンチに座っている。
「ずりずれいよう、ずりずれいよう」
 男はこちらを見る。
「ずりずれいよう?」
 男は誰に言うでもないような口調で呟く。
「……今日、派遣を切られた」
「ずりずれいよう! ずりずれいよう?」
「ずりずれいよう!」
 男は暫くぼんやりとした表情であったが、やがて立ち上がり、
「……すりすれいよう!」

 次の日の昼には先ほどの男に加えて、コートの下が全裸のいまどき分かりやすい変態露出魔とその目撃者にされたOLが俺とモツの隊列に加わっていた。
 特に彼らに何かしたり言葉をかけたわけではない。「ずりずらい」と傍を通っただけだ。そして彼らはついてきた。その先になにがあるのかは、俺もモツも分からない。人が人を救うことなど不可能なのサ。それでも、
「ずりずれいよう、ずりずれいよう」

 海辺の小さな町を歩いていたとき、俺はふと後ろを振り返った。
 いつしか大名行列のような人数が、俺とモツの後から歩いている。連なる人々は老若男女、様々だ。なかには「頭利豆霊教」と書いたノボリを掲げているものもいる。なんのつもりなのか。
 そして、俺はこの風景にどこか見覚えがあった。そう、あれは確か、金曜ロードショウ。もろにこれ『フォレストガンプ』。俺、トムハンクスあんま好きじゃないのに。 
 ただ、我々は一心に叫んでいた、呟いていた、唱えていた。個人個人、それぞれ、めいめいが、
「ずりずれいよう、ずりずれいよう」
 これは、ひとつの祈りなのかもしれない。そうして我々の諸国行脚は続く。

 隣を歩くモツを見る。海から昇った朝日に照らされたその横顔は、どこかキリストを思わせた。痩せさらばえ、自らの十字架を背負ってゴルゴダの丘に登っていったあの神の子に……。
 いや、気のせいだった。モツはもとからガリガリで顔と体毛の量が日本人離れしている。それだけ。
「ずりずれいよう、ずりずれいよう」
 我々は歩き続けた。

 俺達は、風になった。
 それは、うねりながら大きくなってゆく。
 風、
 俺達は風、
 汚いワンルームから、
 丸めたティッシュと硬い縮れ毛を含んで、
 生あたたかい、
 急に吸い込めばクシャミが出そうな、
 ちょっと臭い、
 風
「ずりずれいよう、ずりずれいよう」
「ずりずれいよう、ずりずれいよう」
 どこに吹くのか、どの速さで吹くのか、
 風よ、
 それはお前が決めればいい
「ずりずれいよう」
 ただ風よ、
 お前はけしてもう吹き止んではいけない、
 いや、もはや君は
 吹き止むことは出来ないのだ、
 休むことはあっても、
 止むに止まれぬ、
 風よ
「ずりずれいよう」

 俺は知っている。
 もうすぐ、君のもとにも、空虚で、そして優しい、
「ずりずれいよう」
 俺は祈る。
「ずりずれいよう」
 さぁ、手をつなごう。
 みんなで呟こう。
「ずりずれいよう、ずりずれいよう」


この前、モツの部屋に行って、その後、部屋で一人で酒飲んでたら、なんだか知らないけど、こんな文章書いていた。
意味はあんまりないです。
というわけで、恐らく誰も読んでいなかったであろう、私小説はちょっと中断です。まぁ、あと一回で終わるんだけど、なんか暗くなっちゃって自分で笑けました。
まぁ、色々あったけど、わたしは元気です。
今日もほうきに跨って、この街の人々に夢とパンと希望を届けています。
ジジも、元気です。

ぱぱい