もうこはん日記

いまだ青い尻を晒せ

入院生活

 余の入院生活も一先ずはこれで了となりしが、余が臥せたる大部屋の、遮幕越しに聞こえたる隣人連の人相及び振る舞いなど、如何にも瑣末なことにあれど少しく興を覚えたる故、夕食後の茶飲みの暇などに君に語りたく。漱石大先生見習うが如し明治文化人高踏的人物描写、今様に云い換えれば文化系ニート気取り文体、これを用いて委細語らんとせん。しかして余の入院生活に語るべきなにがしか真にありしか、そう問われれば余は黙す。総ては気ままなる非人情の筆の赴くまま。君よ、児戯を見守る寛容の心でこれを聞きたまへ。げに消灯時間までの呟きなり。泡の如くにのぼり消えるなり。

 余の隣、窓際の寝台に陣取りしは四十過ぎの紳士なり。時折すれ違う彼の様子や見舞い客との応対より、余は彼を『温厚なる宇宙人』と密かに名づけたり。痩躯を緩やかに動かし会釈し、されど大なる眼が二つギョロリと動く様、余所の惑星よりの来訪者の如き不調和さと思えり。また彼の服は常に黒なり。また彼は消火器内科の患者にして医師免許所有者でもあり。故に看護婦及び一部の医師は彼を「先生」と呼ぶ。余は「宇宙人先生」と心中にて呼ぶ。
 余の向かい側に横たわりし六十絡みの男、彼は『御喋り叔父さん』。またも大して捻りなき仇名なりしが、その通り彼はのべつ幕無しに喋り通しなり。入室した途端案内の新人看護婦に自身の境遇を語り出し止むことなく、なんとか切り上げ時を見計らったように彼女立ち去れば次に医師を捕まえ一くさり、温和な口調で愉快に語りたるが、さして愉快な話にも思われぬ。微笑み浮かべ余の寝台に挨拶に来たるが三回も同じ話を聞きたくもなし、更にあの調子で喋りかけられてはかなわぬと余は便所を口実に逃げたり。その後彼は水道から水を飲みて「うん、あまり美味しくない」独りでも喋っている。
 御喋りの真横には老人あり。彼の病状その他仔細知らず、その痛苦はいかほどのものか計りかね、重ねて御老人に対する悪意など余にはなかりしが、敢えて云うなり『糞爺』。どうにも殊更にひ弱き声を上げ「可哀想な老人」という役を演ずる役者に見ゆるなり。その癖に介護作業に不慣れな者にはサラリと嫌味たらしい言を吐く。余の見舞い客と御喋り叔父さんと看護婦の談笑で少しく活気づいた大部屋を「うるせいな」の一言で冷却せしめた手際の見事さ。いま、またも看護人呼び出し装置を連打の如くに押し「寒いぃぃ、毛布ぅ」とか弱き声。余が入院の挨拶に彼の遮幕の内に入りし折に目にした姿はカクシャクたる胡麻塩頭の江戸っ子風であったが、それは見間違いか。しかれども、余は身内親族の現状や己自身の内包せし可能性を鑑み、彼を単に嫌悪することは出来ず。「老」とは肉体の衰えばかりに有らず、この様な精神の一側面とも切り離せぬものなり。憂鬱の感湧けども目は瞑れず。みな命永らえば『糞爺』になりて死すの真理。『糞爺』こそ偉大なり。万歳三唱。涙流すべし。
 
『宇宙人先生』に『御喋り叔父さん』、『糞爺』。これに余を加えた四名が、築五十年余りの古い病棟の突き当たりの大部屋にて蠢いている。
 ふと思いつきしは、或いは三人もそれぞれが遮幕で区切られた近くて遠い同胞に仇名をつけているやも知れぬということ。余の仇名はなんであるか。余が彼らに見せしは最初の挨拶と廊下便所でのすれ違い、面会人との談笑、可憐な看護婦とのやや過ぎたる会話のおどける調子……深く考えても答えなし、『眼鏡書生』くらいのところ。書生とはつまり現代の言葉に相対すればニートに他ならず。周囲に怜悧な観察眼を向け、急ごしらえのぐらつく棚に上がって他を論ず。これ、まさに書生精神なり。いまさらに捨てようとは思わぬ、病は棚を壊すまでには至らず寧ろ積み上げる。
『糞爺』と『御喋り叔父さん』との間に密かに膠着あり。しかれども『御喋り叔父さん』は意に介さず、頭の片隅にも意識はしておらぬであろう。あくまで陽気。『宇宙人先生』は淡々と珈琲を啜り雑誌を読む。『眼鏡書生』はこうしてまた棚に上る。みな各々、それぞれ一所懸命、精進養生励むべし。病人に幸あれ、余はそう結ぶ。
 
 いま余が気になりしは消灯時間。もうまもなくリアルタイムで真実の時間で消灯なり。嗚呼、看護婦の中井さんがやって来る。夜を告げ無慈悲に電気を落とし我らの夜を見守る優しく逞しき太めの看護戦士なり。
 猥俗な都市伝説的看護婦患者情交場面と下品な駄洒落で終わろうと画策せし文章なれど、いまや消灯時間。
 余談や携帯電話文学的意訳も書き足したけれど、それもならず。すべては明日の気まぐれたる不人情の筆に任す。
 いざや、おやすみ。

 ぱぱい。