もうこはん日記

いまだ青い尻を晒せ

今後の人生の晒し首と憧れのセックス



「回らない首」
 積み重なったちゃっちい借金で首が回らず、辛うじて維持していた安アパートも引き払い、それでもしがみつくように都内を転々と、居候からそのまま居座り、居直り強盗のような生活を続けてはいたが、当然のように女には愛想を尽かされ、友人には疎まれた。当たり前だ。人間関係とは利害関係なのだから。俺は何もしない。以前はお喋りな人間で通っていたが、もはや喋ることなどない。サービス精神皆無。うまく金を借りられれば「ごめんねぇ(顔文字)」などと卑屈な笑顔を提供する。スマイルまでもが有料だ。俺は一方的にたかり、寄り掛かり、相手には何のメリットも与えない。あの鋼の錬金術師でさえ、この俺から錬成出来るのは、せいぜいがビチグソか壁に擦りつけられてカピカピになったハナクソくらいのものであろう。
 はは、等価交換! マジうけるんですけど。うけねーよ。

「絞められる首」
 さて、かようにして、俺には何もない。それはかねてより前提であったが、その前提が面白味のない現実となって俺の首を絞めるようになった。だが、いまだ呼吸は続いていた。ということは、生存せねばなるまいということ。早急に現状を打破する必要があった。そして俺は手を打った。なんのことはない、実家に引っ込んでパラサイトを始めた。いまの世の中、俺のような状況の人間は多いだろう。東京から地元へ、負け犬の寄生ラッシュ。
 はは、駄洒落! うけるんですけど。いや、うけねーよ。

「括る首」
 首を括るしかないよ。というのは、駅前の安さだけが取り柄で、俺が時折惨めな気分で白濁した塩気の強過ぎる豚骨ラーメンを啜りにいく店の主人の口癖だ。こんなご時世だよ、報われないよ、でもさ、俺なんて、この仕事しかないからね、他にどうしろってのさ。常連客との会話は基本的にどれもこの結論に収束していき、お約束のように「……もう首括るしかないよ」で締められる。暗えよ。この店のしみったれた照明に似合い過ぎている。スープが一層しょっぱい。早くも伸びはじめたこの麺で、俺の首まで括られる妄想が頭に沸く。
 さて、俺はここで、とうに捨てたと思っていた愛憎の故郷で、枯れ果てたこの街で、どう生きていくべきなのか。

「見くびるな」
 どうか、世間の人たちよ、昼間から意味もなくぶらつく青年を不審者扱いしてくれるな。
 いや、まあ怪しいのは分かるんだ。でもとりあえず俺、大丈夫だから。そら確かに、最近のお気に入りの場所はエアガンショップで、深夜に自転車でうろうろしてたりするさ。世間では、頭おかしくなって何か事件とかやらかしちゃうような奴が一杯いて、まあ色々と取り締まったり何たらしなくちゃいけないのは分かってんだけど、まあ、とりあえず、大丈夫だから。俺は。俺だけはさ。オッケーだから。マジで。俺は違うから。
 そうだぜ、俺を見くびってもらっては困る。
 首が回らなかろうが、首を絞められようが、首を括られようが、俺を見くびることは許されない。
 例え、この首がスッパリとはねられたとしても、俺は変わらない。
 醜い晒し首になってもなお、俺は言い続ける。
 俺を、見くびるな。
 いまに見ていやがれ。
 きっと一生言い続ける。


「ナオコーラ」
 これを読んでいる人よ、
 あるいは読むこともなく、俺という存在をすっかり忘れてしまっている人よ、
 または、そもそも一切の関わりを持つこともなく、今現在、この瞬間も果てしなくすれ違い続けているこの世界の多くの人々よ、
 どうか、聞いてくれ。
 俺は、人のセックスが妬ましい。
 いま、ソーシャルネットワークという、巨大に膨れ上がったウェーブに対峙したとき、思うことはこれだ。
 ポジティブな言説以外は淘汰され、他人の芝生はどこまでも青い。その薄っぺらさを糾弾することは容易い。けれど、その薄っぺらいポジティブさが幾重にもなって俺を襲い、ネガティブな自身の醜さを強烈に自覚させる。「今日も残業~」「結婚しました」「休暇旅行なう」「今日は大好きな親友とランチ☆めちゃうま~」数限りない、そういった誰もが祝福するに違いない人生の明るい部分、あるいはただ無難で当たり障りのない詰まらない生活の報告、薄い自慢大会に、いいねボタンの代わりに、嫉みと僻みの唾を吐きかけてやろうと俺はする。そしてその度ごとに、堪らない孤独と自己嫌悪に直面させられるのだ。流れに逆らおうとする男は、いつだって孤独だ。孤独な男達は、無理な明るい化粧に疲れた女達は、実は数多くいるはずだ。ただ、みんな必然的に孤独で、孤独同士は交わることをせず、個々の真実の呟きは、振り絞った声は、なにか大きくて曖昧なものにかき消されてしまうんだ。薄っぺらい波に器用に乗れる奴ばかりが生き残るこの理不尽、何故なんだよ。
 ああ、そして俺は、今日も他人のセックスが羨ましくて何も手につかない。
 言いたいことは、やはりこれに尽きる。
 人のセックスが妬ましい。
 もう、そう言う題名で小説書こうかとも思ってる。ナオコーラ、面白いと思わなかったぞ、俺は。あんな女の幻想を、男の俺が読んで面白いわけがない。まあ、もう古い話か。
 ああ、とにもかくにも人のセックスが妬ましい。
 あなたのセックスだって、俺は羨ましくて仕方ない。

「妬ましさこそが正しい」
 かつての級友達は、いまや真っ当な社会生活にすっかり馴染み、さらには福山雅治の歌のように着実に家族を築き始めた。なま暖かく、低いしっかりしたトーンの歌声をBGMに、彼らは人生を選択してゆく。そんな風に見える。まあ年齢的にもそういう時期だ。そして酒を飲んでは相変わらず下ネタばかりの俺を白い目で見るのだよ。ふざけんじゃねえよ。きっと父さんみたいに中出しして、母さんみたいに大きく孕んで、家族になろうよって、そんだけの話しだろうが、バカ野郎、俺の下ネタはな、不謹慎でもなんでもねえんだよ。
 時の流れは等しく、人から何かを奪ってゆく。同じだけ何かを与えるのかもしれないが、失ったものばかりに目を向ける人間からは、ただ奪い続けるのみだ。かつて美しく輝いていたあの少女たちが、フェラチオだとかアナルプレイだとかを覚え、散々やり散らかし、醜いババアになって病院のベットで惨めに死んでしまう。それは当たり前のことだ。だがやっぱり、それは本当に悲しいことじゃないか。
 だから人は目を塞ぐ、愛で、夢で、仕事で、金で、家族で、人生などという言葉で、それでなにが本当に肯定されるというのだろうか! ああ、ああ、ああ……! 
 これは単純な、何も持たない、もうさして若くもない男の、つまらない僻みにしか過ぎないのか?
 いや、違う。
 これは普遍だ。
 やさぐれ、はぐれ続けている俺にこそ、普遍は宿る。
 時間よ止まれ、もっと光を!


「そして武里」
 地元の人間は、その過激さが更にオーバーロードし、襲い、運び、摂取し、殺し、勧誘し、騙し、密告、投獄、逃亡に明け暮れている。我が地元は英国に負けぬパンクの本場、そして北欧に劣らぬデスメタル加減なりき。空虚さが人を狂わせ、走らせる。しかし俺は、そのビートに同調することも出来ない。拐かしてきたロシア娘との情交を事細かに語る幼なじみ達、俺はエゲツない描写と不道徳さに顔を歪めながら、その実は密かに劣情を催し、耳をそば立て、股間をそそり立たせている。だが実際にその怪しげな集会や取引に誘われれば、理由をつけて断るのだ。堕ち切る覚悟も俺にはない。遠慮のない奴ははっきりと俺を嘲笑して言う。「どっちつかずの根性なしが」と。ああ、その通りだ。俺は育ちが良いし、理性的過ぎるのだ。少なくとも、奴らと比べれば。それがいまの俺をなおさら惨めにさせている。

「つまり」
 社会的規範に守られた範囲の中出しをして、生涯共に生きていくという契約関係を結んだ女性をハラませる。実に羨ましい。いや、というよりは、そんな真面目そうな面してる癖に、実はお前ら昨晩とか死ぬほどエゲツない格好でエッチしてんだろ? なのにイケシャーシャーと恥ずかしげなく生活してる常識人な感じ、その辺りがね、凄く羨ましい。二面性を日常のなかで抵抗無く使い分けて、淡々とエゲツナイ性生活してく感じ、そういうこと、俺だってしたい。
 あるいは、暴力性と密接に絡んだ行為、刹那の衝動が先行する動物的なもの。この間、せんげん堀にコンクリ詰めで沈められたある中学の先輩は、K商事の会長の情婦に手を出した。この街でそんなことをしたら、遅かれ早かれ残虐な結末が待っていることは、彼だって分かっていたはずだ。なのに、ハメやがったのだよ。ああ、その恍惚は、その迸りは、どんなものだったのだろう。想像しただけで、ヨダレが垂れるんだよ。俺もそれを味わいたい。
 ああ、どちらのセックスも、等しく羨ましい。妬ましい。どちらも俺のセックスではないのだから。

 つまり、なにが妬ましいかっていうと、やっぱり人のセックスだ。ほんと、これに尽きる。
 どうだろう、人のセックス、本当は、あなたも妬ましいんじゃないのか。
 さて、あなた方は、何をそんなにソーシャルしたい? 自分のリアルの充実、経験、ビジネスチャンス、成功、または性行の成果? 
 俺はあれだ、あらゆる他人のあらゆるセックスが、超妬ましい。
 だから、あなたのことも妬ましい。自分が惨めでたまらなくなって、何も手につかぬほどに、妬ましい。
 そのネタミ、ソネミ、ヒガミのルサンチマン三姉妹こそを、俺はソーシャルしたいのだ。
 そしてさらに言うんなら、そんな妬みや僻みや憎しみを越えて、例えばセックスを、剥き出しのセックスそのものを、(もちろん、これはあれだ、セックスセックス言ってるけど、広い意味でのセックス、つまり人の存在の輪郭とか、魂の恍惚とか、そういうことを言いたかったわけだよ、俺は。分かるよね、ただの下ネタじゃねえんだぞ)ソーシャルしたいんだよ。
 これはアルチュール・ランボーが言っていたようなことだろう。確か。それかアル中の乱暴な意見だ。これ、駄洒落な。
 俺の人生はいまのところ、性質の悪い酒に飲まれて、わざわざ自分から犬の糞を踏んでスキップしてるようなものだよ。けどさ、それには理由があったはずだろう。自分だけがそうと分かっていればそれで通る、そんな理由が。
 つまり俺は、いつだって詩人でいたかったわけだ。
 やっと分かったぜ。いや、始めから分かっていたんだぜ。
 俺は詩人だ。憧れてやまないのは、永遠の恍惚。
 だったら、あとの話は簡単だ。
 
 誰か、やらせてくれ!

(終わり)