もうこはん日記

いまだ青い尻を晒せ

ドキュメント・年末年始



 新年あけましておめでとうございます。
 本年もどうかよろしくお願い致します。

 さて、というわけで、僕は最低の年末年始を過ごしています。
 仕事納めとほぼ同時に風邪を引き、年末年始はどこへも行けずに寝てました。飲みまくってやろうと思っていたのに。


『大晦日~年明け』

 それでも、実家の部屋に友達を集めてテレビ見ながら酒飲んで年越し、近所の寺に初詣して鐘を突かせてもらう、っていう毎年の恒例行事は慣行したのです。さすがに、その後で初日の出を見に行く、というのはカットしたけど。
 でもあれな、結局、おれ、ゴホゴホ咳しちゃって、酒なんか飲めやしないし。で酔いもしないのに、狭い自分の部屋で我が物顔で酔っぱらう野郎どもを眺めるって言うのはさ、かなり腹立たしい苦行なんだよね。
 みんな段々酔いが回って表情も弛緩していって機嫌良くなってくんだけど「ああ、この野郎、同じことばっか話やがって」とか思うよ。まあ、酔えばおれだって何度も同じ話したりするんだよ、どうせ。でもこっちは素面なんだ、バカみてえに見えるんだよ、実際さ。
 それからあとあれ、飲んでるメンバーのうち一人がさ、決定的に禿げてるんだよ。これ、重要です。最近まで中途半端な長髪で落ち武者の如く禿げ散らかしてたのをすっぱり坊主にしたのはいいんだけど、はげ上がったMの部分の切れ込みが鋭くなり過ぎてて、さらに残された真ん中の部分が分断されて離れ小島化しつつあるのが、はっきりと見てとれるようになってんだよ。そしてそのハゲがまた、酔っぱらってでけえ声でよく喋るんだよ。そいつが禿げてて五月蝿いってのは、なにもいまに始まった事じゃない。けど、それが大変に強調されて感じた。つまり無性に腹が立った。
 近所の寺に移動して、列に並びながら新年のカウントダウン待ってるときもさ、デカい声でどうでもいいこと喋ってやがって、うるせえったらない。でも考えてみれば、ここ数年、毎回ここでこうして「ああウゼエ」と思ってるんだよな。つまり毎年、神聖な年越しの瞬間に、おれはこいつのせいで不快に直面している。しかもおれには中途半端なつまらん良心があるから「ああ、新年早々友達をウザいと思うこのおれは、なんて嫌な奴なんだ」って、漏れなく自己嫌悪まで味わう羽目になる。ウザさの上塗りだ。
 ウゼええええ!

 それでも、酒が入ってれば何とかなった。酔った頭で、ただ暦が新しくなるという、それだけの出来事を、曖昧に他の誰かと共有した気になって「おめでとう」だの「今年もよろしく」などとのたまわってれば、本当にそんな気分にもなるものだ。
 だが、今年のおれは違う。風邪が治らない。酒が入っていない。素面だ。
 同じ話ばかりの地元の集まりには、実はとっくのむかしに飽きが来ていた。酒に酔ってむき出しの頭皮に朱が差したところを、太く短い指でポリポリ、ついでにせり出してきた下腹もボリボリかきながら焼酎のお湯割りを啜る禿げた同級生の姿は、はっきりと醜い。今年もいろいろあったにはあったが、特に誇ることはない。これから年が変わって、じゃあ、それのなにがめでたい?
 アルコホオルに侵されていない脳が、いままで蓋をしていた事実を直視し、そしておれは突然の帰結にジャンプした。

「結婚してえ」

 もう嫌だ、すべてが嫌になった。
 だから結婚したい。
 そうだ、おれは結婚がしたい。
 アマゾンで申し込んで、お急ぎ便にしてもらって休み明けの営業日にはもう結婚したい。
 そんであれだ、ただちに手堅く真っ当な勤め先を見つけて就職し、ローンでマンション買って車も買って嫁に中出ししたい。恐らく出来た子供はどうしようもないバカで、ケチャップとワンピースが大好きになり、思春期にはつまんないグレ方するんだろう。嫁はため息と韓流のババアにでもメタモルフォーゼ。もういいよ、そんなんで。いやもう、それでいい。おれもパチンコにでも行くわ。それがいい。
 つまりいままでの世界に別れを告げたい。
 このだらしなく引き延ばされ、ハゲデブ散らかり出した惨めな青春の残骸にさよなら。グッバイ、色あせた世界。ハロー、ありきたりのワンダフルワールド。
 さあ、そのためには、まず結婚だ。
 おれはいま、初めて切実に結婚を考えた。

「うおおおお、結婚してええええ」
 と叫びながら、除夜の鐘を狂ったように突きまくった。おれの煩悩は百八では納まりはしない。寺の坊主を蹴散らす。年越しに男子と顔を合わせて浮かれている女子中学生の乳を強引に揉み風のように去る。その辺に路駐してあったヤン車を奪って、新鮮な冬の夜の国道をぶっ飛ばす。

 ブルーススプリングスティーンが、がなるように歌う。おれはそれに負けじと叫ぶ。
「結婚してええええええええ!」

 初詣を済ますと、友人達はおれの体調に気を使ってすぐに引き上げていった。いまさら遅いが。
 酒は入っていないが、ただ妙に興奮してしまっているようで、なかなか寝付けない。YouTubeで「明日なき疾走」のライブ映像を何回も繰り返し見てはゴホゴホと咳。その合間に「結婚してえ」などと呟いて、いつしか寝入っていた。


『元旦』

 一年の計は元旦にある、というなら今年もろくなことにならないだろう。
 鼻水と咳が止まらず、親父が得心顔で「自信作だ」と出して来たお雑煮の味が分からない。今年も黒豆を煮たらしく「どうだ、どうだ」と迫ってくるが、勿論その味も分からない。もともと黒豆の旨さがおれには分からないが、今年は特に分からない。お節の味も分からない。分からないが、それしか食うものがないので、それを食う。
「昨日はまたいつもの皆で初詣行ったの?」と母親が聞くので、適当に応えているうちに興が乗ってきて「あいつはデブってもいるんだ。せめてどっちかだよ。見苦しい。終わってるぜ」などと昨日のハゲの悪口。母親は「なに言ってんのよ、あんただってねえ……」と自分の息子の外見上の欠点を次々に挙げ連ねていく。泣きそうになった。おれは必死で動揺を隠す。うちの母親は、正月も普段も変わりなくぐうたらしている三十手前の息子に基本的には甘いが、時折こうして吃驚するほど辛辣なことを言う。あまりに凹んだので、自分の部屋に戻ってベットに潜り込む。ふて寝だ。

 一昨年の入院中、母親に「あんたは蛇のように執念深い。性格直せ」と言われたことを思い出した。こんな極限下でなにを、と思ったが、自分の性格の悪さは自覚していた。長期に渡った入院生活、医者や看護婦、同室の患者など、おれはありとあらゆるものに毒づいて過ごした。性質の良くない病人だったのだろう。だが敢えて言わせてもらえば、愚鈍な蛙に成り下がるよりは、おれは狡猾な蛇でいたい。睨まれて丸飲みされるよりは、してやる側の方がいいではないか。ふふ、我ながら恰好いいことを言う。そう言えば、今年は巳年。
 新年早々、思考のトグロを巻く。それはマキグソのように間抜けだ。……ああ虚しい。結婚したいなあ。おっと昨日の続きか。

 虚しさに耐えきれず階下へ降り、リビングで駄犬にちょっかいを出して虚しい心を慰める。
 犬は日当たりの良い場所に機嫌良く寝転がっているので、短い両足をガッ、と掴んで裏返す。されるがまま「なにすんだよ」という抗議の目だけを向ける愛玩動物。何度も何度も裏返す。そのうちに我慢し切れなくなり、身体を起こして吠えかかってくる。それを押さえつけ、鼻面を掴む。悔しそうに、むふう、と息を吐く座敷犬。笑える。
「ちょっと、あんまりミミちゃん苛めるんじゃないよ。もう歳なんだから」
 また母親に叱られる。これはイジメじゃなくて可愛がりとかコミュニケーションなのに。
 まあ、しかし、この犬が歳を食ったのは本当だ。相変わらずヒャンヒャンとうるさいが、人間の年齢で言えば、もう60過ぎのばあさんだという。ああ恐ろしい。なんで生き物は歳を取るのだろう。ソファに座って妙に機嫌良さげにテレビを見ている親父も、何となく不味そうな顔でおせちをつついている母親も、当然に歳を取っている。そしてこのおれも。たまらんぜ。昨日からハゲをこっぴどく攻撃していたおれだが、実は最近腹にこびりついた贅肉が落ちない。順調にでぶってきている。おっさんだ。たまらんぜ。

 時間の流れは確実になにかを奪っていく。同じだけ与えるのかもしれないが、失うものばかりに目を向けている人間からは、ただ一方的に略奪していくのみだ。
 そうだ、失われゆくものを嘆いても仕方ないのだ。これからのことを考えよう。
 おれは珍しく建設的な気分になる。
 この家に、いや家だけでなく、おれを構成するあらゆる物事に欠けているもの、それははっきりとしている。
 新陳代謝だ。
 古いものははじき出され、新しいものを取り入れてゆかねば、やがてすべては行き詰まる。いまおれはあまりに滞っている。
 
 簡単なことだ。いままでなんで気づかなかったのだろう。いや、気づいてはいた。おれはそれを否定していたのだ。だが否定してなんになるだろう。あらゆる流れから取り残され、残るのは醜いハゲデブの二日酔い。それになんの価値がある?
 さあ、いま鮮やかに手の平を返そう。スマートな裏切りは、口当たりのいいメロディを奏でるだろう。流れに流されまいとしても結局はすべて流されるのだ。流されようじゃないか。無駄な抵抗など止めて、軽やかに、見苦しくなく。誰もがそうするように、おれもそうしよう。流れることを選ぶのだ。

 おれはリビングを出て隣の和室に飛び込むと、押入をあさり、習字セットを用意した。
 精神の昂揚に震える手で墨をすり、筆にたっぷりと含ませてから、心と筆先を整える。そして呼気と共に想いを一気に吐き出す。白い半紙に筆がぶつかり、黒い墨の爆発が文字という形をとっていく。

「結婚したい」
「婚活しよう」
「嫁はなるべく美人で若いほうがいい」
「中出しやり放題」
「人生を選べ」
「コスパ大事!」

 前衛的にすら見える字体で書かれたそれらは、おれの思いであった。願望であった。新年の抱負でもある。そしてそれだけに止まらないと、おれは気がついた。
 すでに学生時代の同級生や地元の人間のなかにも結婚して家族を築いているものは多くいる。だってもういい歳だもの。だがこれまでおれにはどうもその気持ちがあまり理解できなかった。リアルな共感が沸かなかった。いまは違う。超うらやましい。おれもそうしたい。やっと気がついた。自分は幼稚であった。正月という大いなる保守イベントに、風邪を引いて乗り損ねたおれは、それが故に保守の偉大さにぶち当たったのだ。
 ハゲデブ酔い散らかした同級生は醜かった。素面で見てると余計に。視界に入れたくないが、どうしても目をそらせない。それは自分の姿でもあるのだ。ああ嫌だ、嫌でたまらない。そして自らの内なる叫びに気づく。
「結婚したい」
 飲もう飲もう酒をもっと飲もうと煩く付きまとってくるハゲのむき出しの頭皮にぺっと痰を吐き「じゃあ、おれ奥さんと子供と過ごさなきゃなんないからさ!」と爽やかに言い放って家に帰りたい。あったか家族が待っている。それが人生。豊かな人生。お前は惨めに酔いつぶれて独り寒々しい朝を迎えるがいい。おれは違う。ふははははは。ああこれで一人前面して人生語れるぜ、おい。
 そうか、みんな、そうだったんだね! 結婚した友人達の笑顔が浮かぶ。僕もそこに連れて行っておくれよう。仲間に入れておくれよう。天使の恍惚。もう一人じゃない。さあみんな輪になって踊ろう。世界はこうして刷新されていくんだね。美しい国、ニッポン。
 おれの想いはすでに半紙には収まらず、はみ出し、さらに暴走し、壁や障子、畳にまで筆がのたくった。異様な物音に和室にやってきた母と父に「よう、ごめんなあ、いままで……。もうあれだよ、大丈夫だからさ。心配ないよ。孫の顔だってすぐに見せてやるからさ……」と鼻水まみれの笑顔で語りかける。そうそう、もうおれは中出しすっから! 社会的に! 足下を興奮して走り回る座敷犬を捕まえ、こいつにも魂の書き初めを施してやる。「犬ぅぅぅぅ! お前はぁぁぁ、おれだあぁぁぁぁ! 犬ぅぅぅぅ!」
 世界は半紙だ。おれは筆を持っている。墨汁はたっぷり溢れている。心に。筆をとれ、そして書き初めろ。世界は刷新され、また古び、捨てられ、そして再刷新されるという生成でしかない。謹賀新年。迎春。本年もどうぞよろしくお願い致します。「結婚してぇ」

【完】
    

『2013年の抱負』

 以上、こんな長ったらしい文章を、炬燵で蜜柑食いながら書いていた。鼻水啜って、テレビの正月番組を横目に。
 三が日過ぎても、なかなか風邪は治らない。年末年始らしいことなど、なにも出来なかった。ただハゲた同級生を見ていたら、ふと「結婚してえ」と呟いていた。いままでそんなこと思わなかった。歳食ったのだろうか。ちょっと驚いた。
 そしていま、これを読み返して、言えることは一つだ。

「我ながら性格悪過ぎる。こんなんで結婚出来るわけない」

 これに尽きるね。

 さて、ハゲた友人には「お前、ハゲてるぜ」とちゃんと伝えてあげよう。自分の醜い下腹もちゃんと見つめよう。後悔すると分かりながら無様に酔ってしまおう。とりあえず風邪が治ったら。
 性格悪いし収入安定しないから結婚出来ないけど、せめて夢を見て生きていこうと思いました。いつまでもどこまでも。
 いい歳こいて、アホみたいに曖昧で幼稚な夢のようなものにしがみついていると、内からも外からもヒンシュク買って、さらに犯罪者扱いまでされそうだけど。それでも。

 だって、おれは一人なのだから。いま生きているのだから。誰にも共有されない、自分だけの夢でいい。自分で自分にだけいいね! すればいいんだから、それでいい。とりあえず。
 さあ、世界はまたもや刷新された。
 また夢を見るんだぜ。
 なけなしの給料を、ためらわずに全部ボートに突っ込んでしまうオッサンのように。何度も繰り返す。懲りても懲りなくても、結局は一緒だぜ。
 さあ、夢を見て生きていこうぜ。


 これが2013年の抱負です。
 そういうわけですので、今年は身体も大事にしつつ、いろいろ活動にハゲみたいと思います。無駄なエネルギーは発散されなければなりません。頑張ります。

 この長い文章をとうとう最後まで読んでしまった貴方、お疲れ様です、ご苦労様です。得るところは何もありませんでしたね。ざまあ!
 さて、これに懲りず、どうか今年もよろしくお願い致します。
 頑張ります。

 ぱぱい。