もうこはん日記

いまだ青い尻を晒せ

カフカの休日


実家に帰省すると突然に局地的な紛争が勃発、どうやら戦争らしい。実家はただの建て売り住宅なのだが、戦略的に大変に重要な地点、ということらしく徴発の対象となり臨時作戦司令部にされてしまう。親父は飼い犬と一緒に二階の自室に立てこもり、団塊世代の気骨を見せているのかはよく分からぬが、とにかく出てこない。僕は僕で司令官だと名乗る軍の男にいいように使われ、しかし「筋が良い。優秀な兵の素質有り」などとおだてられ、銃の一丁なども支給されすっかりその気になる。敵の襲撃が懸念される夕方、基地の周り即ち実家の庭、及び駐車場で歩哨に立っていると、スーパーのビニール袋を下げた母親が帰宅。暢気そうな声で「しまった牛乳買うの忘れちゃった。あらあんたそんな銃なんか下げて、なに見張り? お母さん代わってあげようか。ほらその銃貸しなさい。あんたは牛乳買ってきて」などと言い銃を引ったくろうとする。任務中の緊張と高揚に浸っていたところに、この母親の言動はあまりに無粋で不愉快であったので「おい、ふざけんなよ。やめろ。おばさんに銃なんか扱えるわけないだろ。返せよ」とまるで思春期のような乱暴な口をきく。母親と銃を奪い合っているうちに敵部隊の来襲、銃弾が頭上を掠める。慌てて車の陰に身を隠すが「牛乳買ってきてよ」と母親はまだ言っている。


っていう夢を今朝方に見た。
カフカみたい!」なんて、こうして文章にしてみたが、これが、もう二十代も終わりの男が見る夢だろうか。恥入るべきかもしれない。つまり僕の精神は幼稚なのだ。年収も限りなく低い。だらしない肉体に、だらしない精神が宿っている。
そうなのだ、僕はいわゆる腑抜け野郎。

だけれども、平日の休日を無為に、腑抜けて過ごすのはなんとも幸せだ。最近、結構忙しかったからね。まあ僕にしてはね。
喫茶店は暖房が効いて暖かいし、さっき古本屋で買った小説はなかなか雰囲気がいい。本に飽きれば周りを見渡して他の客を観察、漏れ聞こえる会話から彼らの生活を勝手に妄想、無責任な物語を構想してそれに浸る。そしてブレンドを啜る。
ああ幸せ。
いま僕は文句なく腑抜けた表情をしているだろう。
もしほんとに戦時中だったりしたら、まず生き残れないだろうぜ。
というわけで、膿んだ心は無責任に災害や戦争でのサバイバルを望んでみたり、汚れちまった悲しみは倦怠のうちに死を夢むだりはするんだけど、それはあくまで妄想であり夢だ。もし現実にそうなってしまったら、生き残るためにもがくだけ。人間なんてららら。しんどいぜ。腑抜けた顔はなかなか出来なくなるね。
腑抜けていられるいまこの瞬間が、実はとても幸せだ。
牛乳買って帰ろう。


ぱぱい。