もうこはん日記

いまだ青い尻を晒せ

下衆で、めんどう

 やらしてくれ。なんでもいいから。誰か。やらしてくれ。やれればそれでいい。とにかくやらしてくれ。とりあえず。

 桜はすでに咲き始めていた。お堀沿いのベンチで日のあるうちから酒を飲み続けていた。足下には発泡酒の空き缶が何本も転がる。例年ならもうこの辺りは人で一杯で、とてもくつろげるような状況ではないが、今年の桜は開花が異様に早く、そのせいで花見客が多分追いついていない。五分咲きの桜をほぼ独占して、私は昼日中から酒をくらっていた。別に花見のつもりでもなかったが、暖かい日向にいて風にさらされているのは気分が良かった。
 イヤフォンから音楽が流れ込む。それに合わせるようにジャガリコのバターしお味を口に運ぶ。頭のなかにバリバリ、という租借音が響く。もう酔っているので、過剰に勢いよく棒状のスナックをかみ砕いている感がある。耳にギターは走るが、私の心にバンドのメッセージは届いていない。いまの私に青春を匂わす歌詞が空々しい。ジャガリコは音を立てて砕かれ、舌に油っぽいしょっぱさを残して喉の奥に消えていく。さよなら、ジャガリコ。私は酔っていた。さらに発泡酒を飲み下す。
 隣のベンチにはいつの間にか若い女が座っていた。すぐ側にある大学の学生だろう。クリトリスが感じるの。女は煙草を吸っている。ぼんやりと川を見つめているその女を、私は酔っているのであまり遠慮なく見つめている。クリトリスが感じるの。妄想のなかで私はその女子大生に「頼むから、やらしてくれないか」と頼んでいた。そして断られた。女子大生は私の誘いに乗らないがしかし、先ほどから、クリトリスが感じるの、と呟いている。妄想のなかで。妄想のなかなのだから、そう言う意味の分からない呟きをするだけでなく、少し大胆にセックスさせてくれたっていいじゃないか、と私は思う。しかし女は呟く。川面に目をやりながら、虚ろに。クリトリスが感じるの。視線を上に移すと、桜。枝にはすでに咲いた花びらとまだ咲かぬ蕾が入り交じっていた。クリトリスが感じるの。
 つまり、そういう私の妄想と酔いと情景だった。女子大生はやがて去った。

 その日はアルバイト先の後輩の歓送会だった。彼は高校の非常勤講師とこのバイトの掛け持ちをしていた。四月から常勤になるので、バイトを卒業する。私は仕事はなかったが、なんとなく昼過ぎくらいから職場である大学の周りをうろついていた。そして飲んだくれていた。
 夕方から始まった歓送会に、私はすでに酔った状態で参加した。だが別にどうということはなかった。セクハラをしたくなるような相手も特にいなかったし、過度な下ネタを連発することもなかったと思う。ただその場にいた四十過ぎくらいの普段あまり顔を合わさない事務担当の女性になんとなく嫌われた印象があるから、もしかしたら軽いセクハラや下ネタ発言くらいはしたのかもしれない。私は酒場にいる私を信用していない。翌日に思い出す酔った自分の言動は、ほとんどが嫌悪の対象だ。それを分かっていながら、やはり酒は飲むのだ。酔いが回る頃、気がつくと会は流れていた。
 何故そうなったかは忘れたが、二次会がはけたあと、ほぼ初めて言葉を交わしたと言っていい位の出入り業者の和田さんと五反田の熟女キャバクラに行くことになっていた。途中、和田さんと二人、なんとか宮内さんという大変に真面目な、恐らく四十歳位のアルバイトの同僚をその輪に加えようとしたが、結局品川の駅で巻かれてしまった。和田さんと二人、もたれ掛かり、抱きしめ、電車内でかなり執拗に絡んだと思われる。どうしよう、嫌われたかな。
 私はキャバクラなどに免疫がない。性風俗の類も、まったく経験がないわけではないが、全くもって慣れていない。そのくせ、ところ構わずにやりたい。やりたくてやりたくて仕方ない。少し好みの女性を見れば「頼むから、やらしてくれ」と叫びそうになる。叫ばないが。そして自分から風俗には行かない。紛糾している不可解な性欲によって、恐ろしく自分というものが滞っている気がする。そして欠落している。大変に重要な、しかし明確ではないなにかが、それでも何故か確実に、私には欠けているということが分かる。その感覚は物心ついたときから既にあったが、いまはこうしてそれが分かりやすく私という状況を作り出している。やりたい、だが出来ない。


「自分はなるべく嫌なことはしたくないと思って、適当に日々を流すように送ってきました。そうしているうち、ちょっと大きい病気にかかって、あ、これは死ぬなと思い、以後の数年間を重苦しく暗い気分で投げやりに過ごしてきました。幸いにして、病気はこの通りひとまずはどうやら治ったようで、気がつけばもういい年齢になっていましたが、やはりなるべくなら嫌なことはしたくないと思い、こうしてまた以前からやっているアルバイトで適当に日々を送っているのです。これが自分という人間であります、隊長」
 キャバクラに突入する前、和田さん、和田隊長とドトールに立ち寄った。そして私は隊長である和田さんにこのように自分を語った。熟女キャバクラという未知の領域に足を踏み入れる前に、偽らざる自分というものを私を導く和田さんに知って欲しかった。和田さんは「え? ……ああ、そうなの? そうなんだ。いきなりどうした」と困惑した様子を見せた。「いいかい、自分が楽しむんじゃなく、相手を楽しませる。そういう気持ちでいきなよ。僕はそれが正しいと思ってる」和田さんはもっともらしい顔で言った。私はそれをもっともだと思った。


 熟女とはいうが、三十を少し過ぎた位だとその女は言った。それならば私と大して年齢は変わらない。落ち着いた雰囲気の彼女と話していると特に緊張するでもなく、割合に自然に話せた。しかし私の自然というのは大分に不自然であり、よく言われる自然体というものでは決してない。つまり他人に対して不自然に上擦ったりしているのが私のデフォルト状態、つまり自然なのだ。そういう意味で、私は彼女に対して自然に話せていた。
 とにかく何を話していいのか分からぬので、品川区のB級グルメ、安いが満足度の高い居酒屋などの情報を羅列した。彼女はその話題に食いついているようで、しかしそうでもないようでもあった。本心などは分かろうはずもない。クリトリスが感じるの。入院生活を経て煙草は止めていたが、酔うとたまらなく吸いたくなる。口寂しいのだ。手元にもなにか挟みたくなる。気がつけばパカパカと、和田さんのキャスターマイルドを吹かしていた。女はいちいち煙草に火をつけてくれる。それも仕事なのだ。だが私はそれが落ち着かない。彼女はあまり自分から喋るタイプではないようだ。クリトリスが感じるの。向かいの席で和田さんに着いた女性はもう少し熟女よりのようだが、それでもせいぜい三十半ば過ぎだろう。割合に豊満な体格で、和田さんお気に入りらしい。入るなりごく自然に指名していた。右乳首が急所よ。二人はにこやかに談笑している。なにを話しているのかは聞こえない。私は相変わらず穴場のラーメン屋について語っている。クリトリスが感じるの。とにもかくにも、どうでもいいグルメ情報はほんとに自分にとってもどうでもよく、本当に伝えたいことは、今すぐにでもあなたのマンションに行って、とりあえずやらせて欲しい、という私の意志だけだった。クリトリスが感じるの。だが私の意志は駅前にあるコストパフォーマンス抜群の立ち飲み屋の話に隠蔽されたまま。クリトリスが感じるの。酔いは完全に回りきっていて、何だか分からぬうちに閉店になった。和田さんが全ての支払いを済ませ、外に出た。
 外に出ると和田さんが「近くのコンビニで少し時間潰そうぜ」と意味深な様子で耳打ちする。「え、なんでですか? 先輩」その頃には何故か私は和田さんのことを先輩と呼ぶようになっていた。どうやら店がはけた女の子が来て一緒に飲むことになっているらしい。凄い手腕ですね、先輩。あの、自分、消えてもらいたいならいつでも消えますんで、言って下さい。あ、なんならその合図決めときましょうよ、先輩。実際のところ、酔いは全速回転していたし、一万数千円のキャバクラ代を奢って貰い、私の不得手な分野で鮮やかな活躍を見せる先輩に感服はしていたが、だからと言って先輩に「先輩、先輩」と柄にもない後輩面で懐いていこうとする自分にうんざりし始めていた。この辺でそろそろ帰ってもいいかな、と思っていた。
「いやー、すいません、つい先輩と飲むと楽しいもんで時間忘れちゃって!」
 だが気がつくと私は新婚ほやほやである先輩の奥さんへアリバイ作りの電話までしており、そしてその演技力たるやなんとも自然で、我ながら完璧な好青年としか思えない声色だった。奥さんの声は明るく、自分も飲んでいるので全然オッケーだよ、と答えた。

 タクシーに乗って我々は、先輩お気に入りのミカさん行き着けの恵比寿のバーに移動した。酔いは更に回り続けていた。自分がどこにいるのかもあやふやになっていた。車中、先輩は楽しそうにミカさんの手を握って何かを話し込んでいた。右乳首が急所なの。「もしかしたら古阪くんに付いたお姉さんも来るかも」と先輩はコンビニで言ったが、結局は来なかった。私は振られたのだろうか。クリトリスが感じなかったのか。自分のルックスとかそういった、異性との関係に重要なポイントとされるものが、普段自分で想定しているよりも3グレード位下がっている気分になった。もはや消え入りたかった。それでも渡された名刺の裏に手書きされたメールアドレスをiPhoneに打ち込む私。メールをしよう、この夜のうちに。だが酔いは私にiPhoneの操作すら満足にさせない。アドレスのアンダーバーをどうやっても入力出来ない。メールは送れない。「先輩、どうしてもアンダーバーが出てこないであります!」たどり着いたバーは混んでおり、なんとか確保出来たテーブルで、先輩は相変わらずミカさんの手を握って楽しそうだが、やはり人当たりがいいのだろう、嫌な顔をせずに「アンダーバーが、アンダーバーが」と騒ぐ私の相手もしてくれる。そしてメールを送信。だがすぐに宛先不明と英文メールが届く。このアドレスは、存在しない。やはりクリトリスは感じないのだろう。私は適当にあしらわれたのだろう。ハードリカーを追加注文し、飲み下す。
「やっぱり、あれですよ、変態セックスしてみたいですよね、変態セックス」「とりあえずやらしてくれっていうのは、そんなに悪いことですかね? いや、むしろ、いい言葉じゃないですか。なんていうか、言霊的に」「もうやっぱりだから、滞ってるんですよ、詰まってるんですよ、いろいろ。だからほら、流さなきゃなんないでしょ。だからやらして欲しいわけですよね。気功的な観点からも。もう土下座してもいい」ぶつ切りの本音が、なんの文脈もなしに垂れ流される。ミカさんはそれでもあからさまに呆れた、ということもなく「変態セックスって、どっからが変態なんだろう」「言霊って、面白いね」などと会話をつないでくれる。さすがはプロの熟女か。右乳首が急所なの。そこに先輩は「えー、じゃあじゃあ、ミカさんが最近したエッチ、知りたいなあ」だとか「いや、おれなんかもう、オッパイ見れたらそれでいいかな~」などと軽い感じで絡んでいく。私が酷すぎる、というのもあるが、先輩の会話運びはやはり上手いと思った。だが私の会話は改善されない。ねじ曲がった自意識と性欲がただ下らない言霊を乱雑に垂れ流し、それが止まらない。一方先輩は「いや、マジで、ミカさんがオッパイ見せてくれたら、おれ、明日から仕事めちゃくちゃ頑張っちゃうもんなあ」「えーほんとにー」相変わらず円滑なコミュニケーションに思える。やはり右乳首が急所なのだろう。確かにミカさんがオッパイ見せてくれたら、私もなにかを頑張れるかもしれない。だがなにを頑張るというのだろうか。分からない。だがとりあえずオッパイは見たい。凄く。右乳首が急所なの。「いやあ、そうっすねえ、ミカさんが見せてくれたら、芥川賞とれる気がしますわ」一瞬、凄く、場が白けた。

 ミカさんはタクシーで帰っていった。実家住まいで父親と弟との三人暮らしだと言う。内心、マンションに一人暮らしだったらこのままそこにしけ込んでオッパイ見せてくれたかもな、などと考えていた。一瞬、先輩と私でミカさんの豊満な両乳房に片方ずつしゃぶりついているイメージが脳内に浮かんだ。自分の下衆さに、はっきりと吐き気がした。第一、そこに私はいないだろう。行くとしても先輩一人だろう。それを分かっていても、自己愛にまみれた私の心はなんとか自分を価値ある存在に思いたくて仕方ない。それがまたもう一方に存在する、自分を観察する冷静な私の嫌悪の対象に上がる。たまらない。ミカさんは「この笑顔がいいよね、たまんない。癒される」と先輩の笑顔を褒めた。右乳首が急所なの。私の笑顔はどうだろう。きっと、いや間違いなく歪にゆがんでいる。
「いやあ、楽しかったね」 恵比寿から渋谷までの道を歩きながら、先輩は言葉通りに楽しそうな顔をして言う。そして外していた結婚指輪をはめる。「先輩は結婚なさってるじゃないですか。しかも新婚。それ、やっぱりああいった所では言わないわけですか」
「そうだねえ、言わないもんだよね」
 私は、先輩に対する劣等感、ここ数年で染み着いた健全な人生全般に対する引け目と嫉み、それらの負の感情から、先輩に絡みたい気分になっていた。しかし同時に説教されたい気分でもあった。
「結婚て、どういうものですかね。先輩は、どうして結婚したんですか」私は少し真剣なトーンを演出して尋ねた。すると先輩も少し真剣に、それに答えてくれた。
 つまり結婚というのは、相手があってするものだから、相手に合わせてしたのである。長年自分に連れ添ってくれた彼女がそういう制度、または社会的契約関係を望むのであれば、それに応えるのが自然ではないだろうか。だがしかし遊びはする。バレぬ範囲で。それも自然ではなかろうか。先輩は語った。おかしなところはなにもなかった。真っ当な意見だ。だが私は急激に気分が落ちていった。ここで先輩に結婚に関して問い、その答えとして間接的にではあるが箴言めいたことを明け方近くの渋谷近辺の路上で先輩に語られる、という先ほどの自分が望んだ通りに近い状況が、急に許せないものに感じられた。自分を消し去ってしまいたかった。塵のように粉々に砕け、春先の強い風に流されてなくなってしまいたかった。そしてしかるべき後に、どこか別の土地に、もっと綺麗な存在の自分として再生されたかった。だが勿論それは叶わぬ。
「いやあ、やっぱりあれ、ミキさん、いけますよ、先輩。マジでやり手ですね、先輩は。超絶リスペクトしちゃいますよ、僕」「いやあ、まあいけるかもね。でもそこで簡単にはいかないのがポイントだから、うん」相変わらず自分は自分の感情とは乖離して太鼓持ちの後輩として振る舞い続けた。先輩も先輩として振る舞うことに慣れてきたようだった。


「どうだい、始発まで、エッチなお店とか、いっちゃうか?」と先輩は言うが、この時間に営業している性風俗店はあるのだろうか。あるのかもしれない。だが私は酒浸りでさらに精神に深い傷を負っているので、この上さらにそうしたことでダメージを食らうであろう状況に自分を追い込むのは避けたかった。だがその一方でどうにでもなれ、という気持ちもなくはなかった。
 幸いにして性風俗店は辺りに見当たらず、駅前の富士そばに入店した。そばを啜りながら思い出したように先輩が言った。
「そう言えばさ、さっきのアドレスなんだけど、アンダーバーじゃなくて、ハイフンじゃないのかな?」 彼女から貰ったアドレスのことを言っているのだ。アンダーバーのところをハイフンに変えて送信してみる。宛先不明の英文メールは来ない。どうやら届いたようだ。
 正直に言って、彼女の顔がもはや思い出せない。だがとても綺麗だった気がする。恥ずかしくて、あまり顔を見れなかったのかもしれない。クリトリスが感じるの。単に酔っぱらっていたせいかもしれないが。その曖昧に綺麗な彼女の面影は、思春期の頃に手に入れられなかった年上の、一瞬だけの美しいかつての恋人に、記憶のなかで重なった。私の脳味噌は随分と安易なようだ。
 さて、とりあえず彼女は私に嘘を教えたようではないらしい。ということは、特別嫌われて拒絶されたわけではないのだろう。綺麗な年上のお姉さんと私は、辛うじてこの電波で繋がったわけだ。クリトリスが感じるの。でも、それがなんだと言うのだろう。
 啜っていた紅ショウガ天そばは、天ぷらの衣が汁に溶けてはがれ、丼のなかで、やや茹ですぎのそばとぐちゃぐちゃになっていた。
「先輩、これでこうして、例えば彼女と飲みにでも行って、奇跡的になんかこう、上手くいって、それでやれたとするじゃないですか」
「うん」
「で、それがなんになるんですかね。……まあとりあえずやらしては欲しいんですけど」
 先輩は私から自分の丼に視線を落とした。先輩のかき揚げ天そばには、これでもかというほどの七味唐辛子が振りかけられており、真っ赤になっていた。赤いそばを啜って、先輩は言った。
「知らないよ、そんなの……」

 始発に乗って、私は帰宅した。まだ辺りは暗かった。自分の家に帰るのは、実は久しぶりだった。アルバイトでいい加減に小銭を稼ぎ、学生時代の友達や顔見知りの家を泊まり歩き、長いこと自宅には寄りつかなかった。
 鍵でアパートのドアを開け、なかに入る。すると六畳間の真ん中に布団を敷いて、妻が眠っていた。
 あまりにも無防備な姿で、安心しきって眠っているように思えた。私は、ここ数年、久しく妻に対して性欲を抱かなかった。だがいま、一瞬ではあるが欲望が確かに頭によぎり、眠る妻の身体に手を伸ばしかけた。だがやはり駄目だった。具体的に妻との行為を想像すると、たちまちに気分が萎えてしまった。代わりに、自分でもよく分からぬが布団を剥いでむき出しになった妻の腕にかみついた。うっすらと歯形がついた。それでも妻は目を覚まさなかった。
 不意に目覚まし時計が鳴り響いた。時刻は五時を指していた。噛みついても起きなかった妻が、急に目を覚まし、ばっと立ち上がった。数週間振りに唐突な帰宅を果たした夫の姿を見留め、しかし妻はなにも言わなかった。黙って部屋を出ていき、シャワーを浴び出した。私はその間に、トイレで吐いた。紅ショウガの赤が便器の白に散った。シャワーを浴びた妻は身体を拭き、ベージュの長いスカートに白いワイシャツを着用した。極端に地味な服装だった。妻は初めて私に向かうと、こう言った。
「わたしは出て行きます。出家します」 そして用意していたらしい荷物が入った旅行鞄を持った。
「出家するっていうのは、どういう意味?」私は尋ねたが、なんとなくその意味は分かっていた。
「神様の側に行くのです。だからここを出て行くと同時に、世界を出て行きます」
「そうなんだ」
「はい。私はあなたの妻であることも止めます」
「それで、これからどうするの」
「はい。神様のお嫁さんになります。神様と結婚して、救世主をハラみます。この身体に。そして出産します。やってみせます」
 そうして彼女は出て行った。アパートの前を走る道路には沢山の信者を乗せたマイクロバスが止まっていて、それに乗って行ってしまった。

 妻が寝ていた敷きっぱなしの布団の上に私は寝ころんだ。妻の匂いが残っていた。私はiPhoneで熟女ものの卑猥な動画を検索して、寝転がったままそれを鑑賞し、自慰を行った。連続で行った。三回射精した。そういうふうに午後まで過ごし、シャワーを浴びてアパートを出た。
 適当に入った喫茶店で、この一連の文章を書き出した。ブレンド一杯で二時間くらい粘り、その店を出るとまた違う店に入った。そして大学ノートに文章を書きつづる。そしていま、このように、リアルタイムに文章に現実が追いついた。あるいはその逆か。
 長居しながら梯子する喫茶店、何人もの女性が私の隣の席に座っては去っていった。そのなかの大抵の女性に、私はやらせてくれと言いたくなった。
 やれる妻とはやりたくなかった。やれない相手にやらせて欲しい。やったところでどうなるのか。だがやらせて欲しい。私はなんなのだろう。私はなんでもない。
 クリトリスが感じるの。喫茶店では様々な声が聞こえる。だがそれは私にだけ聞こえている声なのだろうか。右乳首が急所なの。やらせてほしい。今日の風は強いらしいから、桜は咲いた途端に散り始めているのではないだろうか。だが私は別に花見に行くつもりもないので、咲こうが散ろうが同じことだ。妻は神様のお嫁さんになるという。神は私から妻を寝取った。その妻となら、私はセックス出来るかもしれない。だがもう妻は出て行った。もう妻は私の妻ではなくなった。神様のお嫁さんとして、堂々とバージンロードを歩くのだろう。

 やらしてくれ。なんでもいいから。誰か。やらしてくれ。やれればそれでいい。とにかくやらしてくれ。とりあえず。

 離婚届は今週中にでも郵送されてくるのだろうか。世界の外から、あのアパートに。
 ざまあみやがれ、私。



ぱぱい。